誰の子供?

不妊治療中の女性に、誤って別の夫婦の受精卵を移植した可能性があるため、妊娠した女性が中絶をし、病院に対して訴訟を起こしたという記事が、朝日新聞のトップニュースになっていた。ミスをした医師に責任があることは確かだし、苦労した末の妊娠がこのよ…

文章作法

論文を書くために読んだ本の中に、論文のためにはまったく使うことのできない部分に、本当はおもしろいことが書いてあることがしばしばある。最近では次のようなもの。「著作をものするとき、技巧が目につくような書き方をしてはならないということは、誰も…

金よこせ

考えてみると、人文系の研究者が飯を食っていける社会というのも奇妙なものだ。いったい何を対価としているのだろう。「智恵」だなんて答えることができる人はいるのだろうか。 御用学者にでもならないかぎりは、人文系研究者は社会の寄生虫であり、贔屓目に…

ただの日記

今日吹き荒れた生暖かい強風が、春一番だったらしい。風が強いからと用心して着て行った重い革のコートはほとんど余計たっだし、追い風に調子づいて全力で自転車を漕いだせいで汗までかいてしまった。リュックのパソコンのせいで腰が痛い。 暖かい陽気だった…

翻訳とか

今日も博士論文の続き。見通しはついているけれど、到達点まではあまりに遠い。素振りばかりを繰り返していつまで経っても実戦に至りつかないようなもどかしさがある。いまはデカルトとコンディヤックについて書いている。この俺がデカルトとコンディヤック…

今日の出来事

来週からいよいよ始まってしまう仕事のために、今日はネクタイとシャツを買ってきた。再び現代文講師として、いたいけな高校生たちの親御さんたちから金銭を強奪するのである。申し訳ない。せめて、立派な非順応的な大人へと育成するよう努力する所存である…

『嵐が丘』を読んだ

眠れずに『嵐が丘』を最後まで読み通した。鴻巣友季子さんが何年か前に出した訳で、出版されたときに買ったのをそのまま放置していて、最近になって少しずつ読んでいた。鴻巣訳の本を読むのはクッツェー以来で、これまではエッセイをいくつか読んでいた(『…

間にある町

この前の週末、箱根に行ってきた。小学校二年生のときに一度行ったきりだったので、およそ10年は経過している。大涌谷で黒たまごを食べたこと、その店の電話番号の下4桁が9605(クロタマゴ)だったこと、硫黄のにおい、それくらいしか記憶になかった。子…

思想史家と哲学者

腰痛から復活して、椅子に座っていられるようになった。とはいえ、まだ食器を洗うときに屈むのがたいそうつらい。腰を痛めないようにと思うと背中の上のほうの筋肉を使うらしく、攣りそうになる。屈むときに使う二種類の筋肉があるということをはじめて知る…

どすこい

大相撲初場所が終了した。朝青龍の優勝。本当に危ない相撲ばかりで場所を大いに沸かせてくれた。本割で負け、決定戦で勝ちというのが直前の私の予想が当たった。あんまり強くはないけれど、無理矢理にでも勝ってしまうという…。持ち味がよく出ていた。 今場…

歯磨きで腰痛

歯を磨き終わってうがいをしようかと洗面台に屈み込んでいるときにくしゃみをした瞬間、腰に鋭い痛みが! 見事にぎっくり腰です。まっすぐに立てない。おかげで昨日はひもじい思いをしながら一日中横になっていた。寝返りをうつのにも難儀。歩き方はホンダの…

むしかごで肉まん

同居人が「蒸籠」を「むしかご」と読んだ。 さて正しい読み方は?

国民国家?

大学に入学して最初に受けた哲学の講義は、アーレント、レヴィナス、デリダという三人のユダヤ人哲学者を順に扱うものだった。その頃はいま以上に歪んだ世界観をもっていたし、頭も相当にかたかったので、内容を十分に理解できていたとは思えない。しかし、…

正月の終わり

今日が日曜日で明日が月曜日。ようやく正月が終わるという気分になる。このように感じるのは、はじめてかもしれない。多くのところに挨拶に行き、諸々のことを片づける。休暇というよりは、普段は何もしていなかったことを埋め合わせる作業を急いでやるとい…

一年の終わり

一年が終わった。さっき除夜の鐘は叩いてきたので、年は改まったが、まだ始まったという気分ではない。 大晦日まで論文を書き続けて終わったため、まだその熱が残っているような気分だ。今日まで取り組んでいたのは、共著の短いもの。半ば相手が定めてくれた…

さらに補足

日本全体が超国家主義に走っていたかのように見える重要な要素を挙げることを忘れていた。それは恐怖だ。兵士たちは他国の兵士による殺害の恐怖に見舞われれば、その恐怖を殺すために何らかの信に縋りつく必要があるかもしれない。殺害する機械としての人間…

補足

様々な誤解がありそうなので、昨日書いたものに若干の補足しておきたい。 日本の現状についての認識については、あらゆる〈信〉が存在しないのではないだろうかということに関してはあまり変更はない。丸山眞男が『日本の思想』で展開した「精神的雑居性」に…

社会主義を再考してもよいのではないだろうか

最近、現代フランスの政治哲学のテクストを読む読書会に参加している。この手の領域を専門にしている人たちと親しく会話をする機会がこれまでなかったので、いろいろと勉強になる。それと同時に、自分の立ち位置や日本の現実に対する認識が少しずつ変化して…

ほしいもの

眠れない。最近はまたしばしばこういうことがある。起き上がってみて何かをしようと思うとしだいにまぶたが重くなるのに、もう一度布団に入ってみるとはやり眠れない。困ったものだ。 そんなときにいろいろなことを考えるのは子供の頃からのことで、今日は、…

共同研究

今日はいま進めている共同研究の、何度目かの打ち合わせ。共著で論文を書くのはいままでなかったので、いろいろな作業で苦労している。そもそも、どのような手順で原稿を書いていったらよいのやら。効率のよい方法というのはおそらくないので、論文の内容と…

ぶり大根

寒くなってきた。毎度のことながら風邪をひきかけて、じっくりと寝てあっという間に回復した。気候が変化すると、料理も変わってくる。夏の間は焼き魚や刺身ばかり食べていたのが、ここ数日は連続して煮魚だ。一昨日はひらめ、昨日はかれいと、見た目がそっ…

本屋通い

二日続けて本屋に行った。店内に喫茶店があって、テラスにも出られるようになっている。北向きでしかもそこには大手予備校の校舎があって、諸々のビルが建ち並ぶ裏通りという印象で、あまりよい景色ではない。それでも席に座ってしまえばその建物も背後にな…

昨日の続き

要するに、何かを実際に「やる」ということが必要だと思ったわけだ。理論的実践だとか言って、思考することも一種の行為であるとする考え方もあるが、それは単に職業大学人が自分の立ち位置を正当化するための論法にすぎないし、逃げであることは否定できな…

方向転換の時期かもしれない

某研究員に落ちた。この時期に多くの大学院生たちが一喜一憂する、あれである。今年からネット上で見られるようになったおかげで、郵便屋さんを待ちわびるという作業がなくなったのはよかった。 驚くべきは、人文学の分野の全体で半分以下の順位で、おまけに…

若者による老いの定点観測

数年前に撮った証明写真を何種類かひっぱりだした。街中にある500円くらいで六枚つづりの写真が出てくるあれである。カーテンを閉めるときがなぜか道行く人の視線が気になる。一枚も使用していないのが何種類かあるのは、髪を切るのが嫌いで必要なときにはく…

サイクリングをした

今日は天気がよかったのでとても短いサイクリングをした。出発してから早速、隅田川の川岸のよく整備された場所で、近所のパン屋で買っておいた昼食をとった。家を出たときにはすでに空腹だったので、出発するときにはもうそのあたりで食べることは決まって…

大人の楽しみ

今年の四月から大学に喫煙所が設置されて、そこでしか煙草を吸うことができなくなった。何の制限もなかったこれまでがおかしな話で、それ自体は何の異存もない。しかし屋根もなく雨ざらしで、くつろげる空間ではない。ひどい話だ。一か所にまとめればそれだ…

小説を読んだ

ずいぶん久しぶりに何冊かの小説を読んでいる。近ごろは時間がなくて、めっきり読む量が減ってしまっていた。かつては、一日のうちで小説を読まない日はないというくらいの中毒症状だったというのに、気がついたら漫画の立ち読みの頻度もずいぶん減ってしま…

動物園と禿げ頭

天気のよい日が続いた。よく晴れて空が青いような日は、睡眠時間が多少短かろうが、昼くらいまで惰眠を貪ろうが、目が覚めたらすぐに活動に移ることができる。どんよりとした日は逆に、午前中どころか一日中目が覚めずに終わってしまうことが多い。いまみた…

すべてを雑事にしないために

結局、論文の提出は来年度に延ばすことにした。意外に早い決断だ。冷静に考えてみて、無理だと思った。そのせいで昨晩はほんの少し眠れなくなったりもしたけれど、そう決めてしまえばずいぶんと気が楽になった。考えてみれば、来年の三月まではバイトをする…