語るまい

最近気づいたのだが、新聞の効用を説くのは新聞社の人間だけだし、紙の本の意義を説くのは書き手か出版業界の人間だけだ。これまで気づかなかったほうがどうかしているんだけど。同じように、哲学の意義を説くのも業界人だけだ。自分が職業にしている事柄の意義を主張したくなるのは人情というものだろう。とはいえ、その人情を理解するに留めて、あまり話の中身を真に受ける必要はなかろう。もちろん、やってみないとわからない事柄は多いし、実際にやってみたからこそ語れる内容も多いだろう。しかし、意識的であれ無意識のうちであれ、業界の延命を願うだけの言葉が混じっていないとも限らない。というより、力が入れば入るほど、その色合いは強くなる。わざわざ意義が語られなければならないような状況があるからだろう。というわけで、哲学と現代文の意義だけは語るまい…。