思想史家と哲学者

腰痛から復活して、椅子に座っていられるようになった。とはいえ、まだ食器を洗うときに屈むのがたいそうつらい。腰を痛めないようにと思うと背中の上のほうの筋肉を使うらしく、攣りそうになる。屈むときに使う二種類の筋肉があるということをはじめて知る。どこかを痛めると他の場所を使うことになって、そこをまた痛めるということがよくあるけれど、知らなかった体の部分を分節化するという経験もあるらしい。
2年ぶりくらいにフーコーのNaissance de la biopolitiqueを読み始めた。今日は最初の4分の1ほど。頭の中で思っていたよりも遙かにおもしろく、なぜ今まで放置したままにしたのか悔やむ。これまでは、なぜフーコーがあそこまで真理の概念に拘ったのかが実はあまりよくわからなかった。多くの「ポストモダン」の思想家たちに共通する「真理なんて知ったこっちゃねえ」という姿勢を採用しなかったことは、フーコーの際立った特徴だろう。むしろ、真理概念の危うさの中で、それでも真理の言説が確立された理路を辿るということに徹底して拘っているように思う。今日読んでいた一節で、そもそもある種の事柄が真理の体制に編入されたのはいかにしてなのかということが自分の追求した問いであるという意味のことを読んで、ようやく腑に落ちた。そうであるならば、感覚的にしっくりくる。
しかし、実際にはこの「しっくりくる」という感覚は、これまでフーコーを読んできた中で形成してきたものだ。要するに、「フーコーだったらこのように考えるはずであろうことを、なぜフーコーは言わないのか」という疑問が、これまでの腑に落ちなさの感覚を作ってきたということだ。対象との適切な距離を保つということは思想史研究において重要なスタンスの取り方だと考えてきたけれど、そう簡単なことではない。しかし、そうは言っても熱烈な愛情をもってコミットしているわけではないからこそ、このような仕方での理解もできているのだとは思う。そう思いたい。
フーコーが偉大なのは、博覧強記の思想史家であると同時に、ひとりの哲学者でもあるということだ。自分の指導教授とフーコーの間には多くの共通点があると勝手に思っているのだが(教授はそんなことを聞いたらさぞ驚くだろう)、思考を作り上げるそのスタイルはそのひとつだ。いわゆる「哲学史」の中に登場することはほとんどないようなテクストを扱って、そこから哲学的思考を展開する。要するに、哲学というのは思考の対象によって規定されるのではなく、思考の形によって規定されるのだということを、直接的に表しているような気がするのだ。
しかし大きな違いもある。日本において哲学史を学ぶということは、その哲学史の伝統の外部からの参与である。我が指導教授はそのことにたぶんとても自覚的で、哲学史に対する深い理解をもちながらも、日本の学者にありがちな「ヨーロッパ人化」をすることも西洋哲学崇拝をすることもけっしてない。例外的な軽やかさをもっている。それに対してフーコーは、まさに正統な哲学者として、異端的な対象選択を行っている。しかし背後には、18世紀哲学とハイデガーへの深い理解がある(この点については少しずつわかってきた)。どちらにしても、思想史家であることと哲学者であることの間にある懸隔を感じさせない。バーリンが「思想史家であることと思想家であることは切り離せない」という意味のことをインタヴューで語っていたが、思想史家であり同時に思想家でもあるということは、簡単ではない。というよりは異質でさえありうる。それを可能にするスタイルも実に人それぞれだ。私はヨーロッパ人ではないし、その意味では正統な哲学者ではありえない。しかし何らかの意味でそうあることを望んでもいる。それができたとしても、我が指導教授とは別のスタイルなのかもしれない。もしかしたら、スタイルはほとんど同じで、その小型版になってしまうかもしれないが…。
とにかく精進。