間にある町

この前の週末、箱根に行ってきた。小学校二年生のときに一度行ったきりだったので、およそ10年は経過している。大涌谷で黒たまごを食べたこと、その店の電話番号の下4桁が9605(クロタマゴ)だったこと、硫黄のにおい、それくらいしか記憶になかった。子供のころだから家族五人、車で行ったので、町の大きさや様子をまったく覚えていない。山奥なのだからあたりまえなのだが、思った以上に狭いことを知った。一日目は周囲がほとんど見えないくらいに霧が深く、子供のころに来たのも、これよりは少し薄い霧の日だったことを思い出した。
一日目の霧は辺りを暗くし、勾配とカーブのある道を走る車内に緊張感をもたらした。おおよその様子がわかっていれば話は別なのだろうが、ひそかに手に汗を握った。でもその霧のおかげで、外からみた美術館が幻想的で美しかった。無数の小さな水の粒が光を反射させ、森の中に近代的な建造物がぼんやりと浮かび上がるのは、あらかじめ設計者が見込んでいたことなのかもしれない。展示してあった絵画もよかった。画を見て何かを感じることができるようになったというのは、少しはまともになった証拠だと考えることにしたい。
二日目は晴天。ここ最近見た中で最も青い空だった。前日に見た印象派と日の光のせいで、稜線と木々がくっきりと浮かび上がって見える。晴れた大涌谷の全容を見て、やはり卵のことしか覚えていないのだと確認した。卵を食べる。箱根一の観光地らしく、とある外国人のものすごい数の集団と居合わせた。以前からそうなのだが、旅行をする種類の○○人のことが、本当に嫌いである。それらの人々が住む土地を一か月ほど実際に訪れて以来、その感覚がなくならない。これから先もそうかもしれない。何人であろうと、自分の背後を気にしない人々がそばにいることが耐えがたい。
往復はロマンスカーに乗った。以前塾講師をしているときにしばしば厚木まで乗ったのだが、その先に行くことはそれまでなかった。ある生徒が住んでいる町も通過した。厚木からそこまでの間は田畑が広がり、山も間近に迫り、都会から離れていくにしても関東平野を北上することの多い私にとっては、見慣れない風景だった。私が育った場所は、平坦で、山というものを見ることはほとんどない。坂道すら少ない。東京に住むようになって、起伏の多さに驚いたほどだ。田畑は広がっていても山は遠くにしか見えない。自分が住む場所ではないような感を覚える。その中で、そこは島のように町が形成されている場所だった。特急の列車は停まらない。すべて通過する。もう少し進んでも、田畑とその向こうに広がる山ばかり。そこに住むというのがどのようなことなのか、想像がつかない。
島のような場所で、特急が通過する。高速道路が走る町にも似たような印象をもつ。どのような由来でそこに住むことになったのか。線路や道路が通過する前から住んでいるのか。なぜそこに住み続けるのか。こんなことを聞かれても、そこに住む人たちは困ってしまうだろうが。汚くて人の多すぎる東京をいつか出たいと思っていたのに、新宿に着いて、なぜかほっとしてしまった。