中井久夫 震災

精神科医中井久夫氏が阪神大震災に際して書いたものが、無料で閲覧できるようになったそうです。
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/
安全地帯からクソくだらないことを喚く阿呆なクソ野郎が多い中で、何らかの参考にはなるかもしれません。本当に何かを言う資格がある人は少ない。しかしこれもまたあくまでも過去の記録であり、いま起こっていることはそれとは異なるでしょう。
「いま私たちに何ができるか」という言葉をよく見かけるけれども、遠く離れた場所で、現時点で何かをできる人は、あまり多くはない。それがわからないのは、単に無神経なだけでしょう。金を出す、物資を送る、この二つです。何をすることができるのか、というのは、「いま」の話ではなく、「これから、長い間」のことであるような気がします。

地震

地震があったときは、お茶の水にいた。妻の通う産婦人科があり、仕事がなかったので同行していた。ホワイトデーのお返しという名目で恐喝され、結婚式を挙げたホテルで昼飯を食べ終わり、手洗いに立った妻を待ちながらぼんやりしていた。揺れ始めてから少し時間が経っても収まらず、辺りを見回しているうちに骨の芯から揺すぶられるようになった。妻は廊下の途中でよれよれになっていた。あと少しタイミングがずれていたら、どうしようもない焦りに見舞われるところであったろう。
しばらくして外に出てみると、近辺の大学やオフィスから大勢の人が避難し、道路沿いの楽器店のギターが余震で落ちそうになりながら揺れていた。電車が停まったことを知った人々がタクシーに乗り込み、その他の自家用車もどんどん増え、あっという間に道路が埋まっていた。我々は見事にそのタイミングを外し、車をつかまえることができなかった。妊婦を伴ってのことだし、早く帰りたかったのだが、早々に諦めざるをえなくなった。結局、ホテルに戻って、ロビーで過ごさせてもらうことにした。
テレビでは東北地方の惨状が映し出されていた。津波というものを、自分は理解していなかったことを知った。テレビから目を離すことができず、外の様子も気になり、何度もホテルの周辺をうろつきまわった。次第にロビーは人で埋まり、地下にあるレストランも開放された。道路では車がまったくと言ってよいほど動いていない。緊急車両も通ることができないほど。とりあえず何か食べるものをと思ってコンビニに入ると、すでにおにぎりや弁当の類はほぼすべて売り切れていた。地震から二時間余りが経過した頃だったように思う。手に入れたのは、冷やし中華を一つとヨーグルト。食べ物と呼ぶことができるのはそれくらいだった。あとはいくらかの飲み物。それなりのホテルのロビーで、コンビニの冷やし中華を妻と分けあう。これだけですでに、自分の想像力の範囲を越える出来事だ。災害を理由にしてdocomoショップが早々に店を閉めていたことには腹が立った。こんなときにこそ開けておくべきなのではないだろうか。文句を言う筋ではないのかもしれないが。
結局、七時くらいまで休み、どうにもならないということで、妻の実家まで歩くことにする。辿り着くべき場所として、お茶の水から最も近かったから。電車が動いていないため、自分たちと同じように、多くの人が北上していた。通りかかる居酒屋で朝まで飲む覚悟の人々も多かった。この翌朝の状態のことを思い起こすと、彼らは後悔する羽目になったことだろう。まさかそうなるとは誰も思うまい。
東大赤門の前でお気楽に写真を撮影する人、次の日のことを心配する人、地図を見る人。電話が繋がらずに不安げな人、ランドセルを背負った小学生の姉弟。様々だった。車はさらに増えて、道を埋め尽くしていた。その道路状況で無意味になってしまった緊急車両はサイレンを消し、自転車で移動する消防隊員を見かけた。非常事態の街の光景と、落ち着いた人々の姿。苛立ちも喧噪もない。
妻の父上が作ってくれたものを食べて、しばらく休むことができた。義父としても、人に料理(と呼んでよいのかどうかは微妙だが、とにかく)を出すのは、生まれてはじめてのことだったらしい。それはそうだろう。まさか義父に葱を刻ませることになろうとは、こちらも想像の範囲外にあった。
テレビをつけていると、三田線南北線と、少しずつ運転が再開されたことを知る。トンネルを徒歩でチェックしているというニュースを聞いていたので、これほど早くどうにかなるとは思っていなかった。生協の宅配の日でもあり、一晩中食品を外に出しておくわけにもいかないと思い、地下鉄で帰ることにした。本数も少なく、混雑の度はすごかった。一度閉じた扉が何度も開き、「いま挟まれた方は次の列車にお乗りください」という放送。これが三度くらい繰り返された後、とうとう「いま一番後方の車両で挟まれた方、次の列車をお待ちください」と言われていた。駅から自宅に向かう途中でも、埼玉方面に向けて歩いている多くの人たちがいた。住宅地に足を踏み入れると、あたりは何事もなかったような静けさ。
非常事態の街中を歩いたせいか、テレビから目を離すことができない。被災したわけではない。東北地方には血縁者もいない。当事者ではないが無関係でもない。それでも、精神的にものすごく疲れる。

困惑

授業で使おうかと思ってベルクソンを読み返していて、何だか変な気分になった。「困惑」とでも言うべきなのでしょうか…。オカルト的な妄想が盛りだくさんで、本気で言っているのかしらと思ってしまった。あるところまではおもしろかったのに、しだいにあれ?と思い、最後には本を閉じてしまう。どう捉えてよいのやら。
以前、質問に来た学生が、俺に向かって「先生、真理を発見しました」と語りかけてきたと書いた。あれと似ている。どこまで徹底できるのかという程度の差でしかない。そういった物事とどう関わっていくかは、これからの課題だ。

ついでに

大学入試カンニングについて。最初はわけがわからなかったけれど、実態が明らかになってみると、単にノイローゼでしたってことでしょう。大騒ぎをしたわりには、あっさりとした話だ。立場上はカンニングを奨励することはできないが、同時に、なぜカンニングをしてはならないのかを説明することもできない。しかしそんなことはどうでもいいとして、試験監督をやっていて、本当に気づかないものですかねえ。ずっと携帯触っていたわけだし。なぜ京大は逮捕された生徒のいた教室の規模やらを説明しないんでしょうね。説明できないんでしょうかね。

語るまい

最近気づいたのだが、新聞の効用を説くのは新聞社の人間だけだし、紙の本の意義を説くのは書き手か出版業界の人間だけだ。これまで気づかなかったほうがどうかしているんだけど。同じように、哲学の意義を説くのも業界人だけだ。自分が職業にしている事柄の意義を主張したくなるのは人情というものだろう。とはいえ、その人情を理解するに留めて、あまり話の中身を真に受ける必要はなかろう。もちろん、やってみないとわからない事柄は多いし、実際にやってみたからこそ語れる内容も多いだろう。しかし、意識的であれ無意識のうちであれ、業界の延命を願うだけの言葉が混じっていないとも限らない。というより、力が入れば入るほど、その色合いは強くなる。わざわざ意義が語られなければならないような状況があるからだろう。というわけで、哲学と現代文の意義だけは語るまい…。

題名のセンス

今学期の大学では、ルソーを中心に扱った。本当はもっとマルクスに時間を割くつもりだったのだが、調子に乗って喋っているうちにそんな余裕がなくなってしまった。実は学内に右翼の学生が潜んでいて、ぼこぼこにされたりしたらどうしようなんて思っていたが、そんなことは起こらなかった。
今回の試験は、予め何を書いてくるか考えておくように指示をした。その場で課題を出して書かせても大したものは出来上がらないし、知識を問うているわけでもない。考えるまでもなく、そういった形での試験は、ものすごく非哲学的だ。そんなわけで、参考文献を読んできてもいいし、ネットで調べてしまってもいいから、とにかくいろいろ考えてきてちょうだいと言っておいた。もちろん、他人の見解を参照するときにはきちんと典拠を示すようにとも言って。講義内で配布したものと、自分の手書きのメモなら何でも持ち込みOK。ただし答案を完成させてきてはダメ、ということにして。
結果としては一般教養の授業とは信じられないくらいよくできた答案がいくつかあった。俺は学部生の頃こんなにルソーを理解できていなかったよというのもあった。みなさん大変立派。
さて、試験に関する指示はもう一点あった。それは必ず題名をつけろ、というものだ。主題がはっきりするし、問いを立てることにもなるし、議論の全体に一貫性をもたせるのにも役立つかもしれない。しかし、結果としてそれ以上におもしろかったのは、題名をつけるセンスだ。特におもしろかった題名は二つ。一つ目は「野生人批判と文明人として生きる自分」。ルソーについての予備知識がまったくない人がこれを見たらきっとびっくりするだろうなあ。研究者だったら「ルソーにおける野生人批判と文明人のうんちゃら」という題名になるところだろう。つまらんですよね。「文明人として生きる自分」ってのも、何だか18世紀っぽい気がする。二つ目は「現代の奴隷が『社会契約論』から学ぶ態度」。いいぜ。わくわくしますよね。何を学ぶのかしら。
どちらの題名をつけた学生も、イマドキの若者ではない。どちらかというと隅っこに追いやられがちだと思う。個人的には、彼らにこそ言葉を発してもらいたい。おもしろいじゃないですか。

父親学級

今日は自治体が主催する父親学級的なものに妻と行ってきた。今年に入って三度目の発熱から何とか復活して最初の外出。難儀な年である。
何やかんやで勉強になった。沐浴の仕方なんかは写真を見るだけではよくわからない部分があったのだが、ビニール製の気味が悪い赤子人形を使用して実際にやってみると、どんなかんじだがおおよその見当がついた。つい没頭して汗をかいてしまった。しかし、ビニール製だけあって、いろいろなところが不自然に曲がるので、実際の赤ん坊があんな格好になったりしたら救急車を呼ばなければならない。おまけに、男女ともに股のあたりが不必要にリアルだった。作りものだけに、あまりそこらあたりは熱心に洗うことができませんでしたね、変態みたいで。
あとはあれだ。プログラムの最初に「父親になるべき心構えを云々かんぬんケツの穴」みたいなビデオを見せられたのだが、そのビデオが製作されたのがもう20年以上前であろうことは措くとしても、内容がひどかった。夫を育児に参加させようという意図なのだろうけれど、育児ってのはこんなに大変なんだぞーとただただ脅すだけの内容。それなりに何かちょっとはやろうとしている人々が来ているわけなのだから、気持ちを萎えさせる以外の効果がなさそうだった。変な眼鏡をかけた変なおっさんが変な喋り方と変な抑揚で変なことを言っている部分が多かったので、その変なおっさんが出演している部分を削れば多少は意味のある内容もあるビデオだったように思う。
それよりはましだったけれどこれまたひどかったのは、すべて終わった後で男全員が感想を言わされたときのことだ。父親学級的なあれなので、当然のように「妊婦体験」というのがある。重りを体の前につけて、妊婦はこんな体で大変な毎日を送っているんだぞ、というやつ。個人的には肩にばかり重みを感じて、実際とはけっこう違うのであろうが、物を拾うのはけっこう大変だわなと思った。ただ腰を痛めないように、姿勢がよくなる。それで、けっこうな人々が「妊婦体験をやってみて妻の大変さがわかった、これからはもっと妻を大事にしようと思った」などと言っているわけだ。耳を疑いましたよ。そんなに腹のでかくなった奥さんと一緒に暮らしていて、なぜ大変そうだなーくらいのことを思わんのか? あんな重りをつけてみないとそんなことをもわからんのか? というわけで育メンなるものがはやっているわけだが、そこまで想像力が欠如していると、ラーメンもタンメンもないわ。もしかしたらサラリーマン的に、そういった答えを期待されていると思い、そうしたことを言ったのかもしれん。しかし一人が言えば十分でしょうに。
結局、何よりもよかったのは、実際に二組の夫婦が自分の子供を連れてきてくれたことだ。四ヶ月と七ヶ月。足にべたべた触らせてもらい、最後には抱っこもさせてもらった。たいそう不安そうであり、実にかわいそうだった。しかしこちらとしては大満足。買い物に行くと、母親に抱かれた赤ん坊が足をでろんとさせていたりぴょんこぴょんこさせていたりして、その足を握ってやろうかという衝動にかられるのだが、何か満たされた気持ちだ。俺が親だったら絶対に知らん男には触らせないけれど。もちろん父親学級的なやつに連れていったりもしない。そんなわけで、二組の夫婦と二人の赤ん坊に感謝。
註:「云々かんぬんケツの穴」というのは、私のすてきな先輩によるすてきな言葉です。すごく気に入ってぜひ使ってみたくなって…。