歯磨きで腰痛

歯を磨き終わってうがいをしようかと洗面台に屈み込んでいるときにくしゃみをした瞬間、腰に鋭い痛みが! 見事にぎっくり腰です。まっすぐに立てない。おかげで昨日はひもじい思いをしながら一日中横になっていた。寝返りをうつのにも難儀。歩き方はホンダのヒト型ロボット、アシモそのものである。膝をまっすぐにすると自然に腰ものびてしまうらしい。ちょっとした拍子に腰に衝撃が走り、意味もなく大声で叫んでしまう。哀れ…。
横になって眼鏡をはずして読書をしようとしても、すぐさま眠気に襲われて、ほとんど何もしなかった。脳みそがふやけている。どうでもいいけれど、眼鏡を外しているほうが、物の凹凸がよく見えるような気がする。テーブルについた傷も妙にくっきりとして見える。もちろん少し距離のあるものはまったく見えないけれど、もしかしたら眼鏡をかけて見える世界というのは、のっぺりとしたものなのかもしれない。
今日は何とか昼ごろに起き出して、書類づくり。なんで俺がこんなことをと思いながらも、8割くらいは完成した。これも金のためですから。来年度から教える現代文の企画書。へんてこりんな雇用形態だからこんなこともやらなければならんのですねえ。かなり偉そうな文になってしまった。しかし、最初が肝心ですから。受験産業に関わるのは良心が咎めるが、如何ともしがたい。せめて人文学の基本を教えるという方針で、それが同時に受験にも役立つようにはしたい。そもそも、高得点を獲得するためのテクニックなんて、私は知りませんからね。
人文学的な教養が何の役に立つのかと聞かれれば、それまで見えていなかったものが見えてくるし、日常的な生活がいかに物事を見ないことによって成立しているかということが理解できると答えよう。それが何の役に立つのかと聞かれれば、それ自体が目的だと言うしかない。それが必要か不要かは、最終的には、実際にやってみた後でしかわからない。私には必要だった。君にとってどうだかは知らん。しかし、一度それを身につけてしまえば、後から振り落とすことはなかなか難しいのではないかという期待をもつことにしたい。職業読書人を養成する初期段階に関わるのだ、と。
しかしまずは腰痛を治さねば。年齢を重ねた後の身体を疑似体験しているようだ。