ほしいもの

眠れない。最近はまたしばしばこういうことがある。起き上がってみて何かをしようと思うとしだいにまぶたが重くなるのに、もう一度布団に入ってみるとはやり眠れない。困ったものだ。
そんなときにいろいろなことを考えるのは子供の頃からのことで、今日は、これから生きていくなかで、自分は何が必要なのかということを考えていた。わざわざこんなところに書く必要もないことではあるし、起き上がると眠気を感じるのに今日に限って書くことに理由があるわけでもない。自分と同年代の人たちや、もう少し年上の人たちも、こんなことを考えることはあるのあろうか。大人になったらこれはこうなるんだろうか、といった子供の頃に考えたのと、同じような疑問かもしれない。とにかく、ほしいものを考えてみた。
おいしい食事。これがないと体調が悪くなるし、気分もやさぐれてくる。実家での食育の成果だ。これが良いことなのか悪いことなのかはよくわからない。どんな物を食べても生きていける鉄の胃袋で、ドブの中に落しても三秒以内ならばという人間であったほうが、幸せかもしれない。
静かな住まい。特に、窓を開けることができるようなところがいい。風通しがよく、午前中に日が射すような部屋だったら、言うことはない。以前住んでいたボロアパートはなかなかよかった。夏は40度、冬は外気と同じという環境は少々つらかったけれど。そのときのことを思い出すと、きちんとした台所も必要か。あそこは少し異常だった。
本。読書をすることは精神構造の中にはまり込んでしまったのかもしれない。たとえば小説を読んでいるときは、内容にどっぷりと浸っりきって自意識がなくなるのではなく、背後にそれが残存していて、いつでも意識することができる。この、わずかに残った意識というのは、ただ沈思黙考しているだけでは得ることができない。読んでいるときにしかうまく出てこないような意識の形かもしれないけれど、これをうまく飼いならさないと、大変なことになる。
研究(?)。クエスチョンマークがついてしまうのは、自分のやっていることが、研究者共同体で言う研究とは少し違うような気がしているからだ。やっていること、その内容、というよりは、もしかしたら姿勢の問題かもしれないけれど。研究と呼ばれる類の作業が自分にとって必要なのは、知的好奇心があるからではない。私はしばしば人生に躓く。稀に、転ぶ。そうやって自分を躓かせた些細な小石たちをじっくりと観察して、あわよくば取り除いてしまえればと思っている。無視して突き進むことができないのは、たぶん方向音痴だからだろう。好奇心なしに、はじめから枯渇している知性を使おうとするのは、無理な相談なのかもしれない。しかし、やめるわけにはいかない。やめれば、これはこれで大変なことになる。
友人などの、他人。数は少なくてよい。あるいは、少ないほうがよい。もちろん、大勢の友人その他の人々に囲まれて過ごしたようなことなどかつて一度もないので、それがどんな気分のするものなのかは私にはわからない。妄想と観察の結果からそう思うようになったというだけのことだ。しかし少数の友人たちは、どうやら不可欠らしい。しかし、それは難しいことだ。率直に言葉を交わすというのは、簡単なことではない。そのときに思ったことを口にすることは、率直な言葉というのとは異なる。口にしてはじめて、自分で自分のことを、いつも卑下していることに気がついたり、無意識のうちに社会的コードを気にかけてしまっていることがある。友人たちとの会話には、最も強い種類の自己反省が必要なのかもしれない。後悔をすることも、多い。もちろん、必要なのは友人だけではない。幸いなことに、自分には少ない数のいろいろな人たちがいる。感謝するほかない。もしかしたら、子供なんかもいればと思うこともあるかもしれない。
おそらくこんなところだろう。リストを増やすとしても、下位分類を設定するだけのことだろう。実につまらないものばかりかもしれない。しかし、自分でよく言っている「まとも」の内実など、こんなものにすぎないのかもしれない。しかし、手に入れることは簡単なことではない。
最近、真剣に考えてしまうのは、これらのものを手にするために、どれだけの金が必要になるのかということだ。金でこれらのものを買うという話では、もちろんない。ある程度はあれば何とかなるような気がする。このまま生きていても、飢え死にすることもなさそうだ。これも、本当に幸いなことだろう。しかし、それだけで話は済まない。こうやって上に挙げたものは、どれもずいぶんと抽象的だ。手に入れようとする方途は様々にある。そう思えば簡単なことのようにも思える。だが、そのやり方にしても、他者からの承認を受けることができるものと、そうでないものとがある。あるいは、実際に自分にとって可能なこととそうでないこととがある。社会的な状況による拘束もある。また、これだけは絶対に手放せない、あるいは手をつけることができないという事柄も、ある。抽象的にしか語ることができず、しかし生きていくなかで具体的な手触りと共に感じられてしまうような事柄を、どうやって現実のものとしていくのか。そこに金の話が入ってくる、らしい…。
途方に暮れてしまう。そんなときにはどうするのか。いまのところは、途方に暮れ続けるしかない。