昨日の続き

要するに、何かを実際に「やる」ということが必要だと思ったわけだ。理論的実践だとか言って、思考することも一種の行為であるとする考え方もあるが、それは単に職業大学人が自分の立ち位置を正当化するための論法にすぎないし、逃げであることは否定できない。何らかの行為をするのではなく、行為とは異なった事柄に従事することの意義をもっと自覚してもいいはずだ。ただしそれでも、行為する人や様々な現実に対する視線を欠いているとすれば、私にはその意義がわからない。もちろん、人文社会系の学問に限定しての話だが。
しかし何と言うか、いったい何度めの思春期なのだろかと呆れてしまう。この年齢になっていったい何をしようかと考え始めるとは。しかし仕方がない。様々な過程を経なければ理解できない物事は理解することができないのである。何かをやったうえで、あるいはやりながら考えなければ、そこには基盤のようなものが欠けてしまうような気がするし、何も考えずにただただやり続けることは、どこかが擦り切れてしまうような気がする。職業をもとうとすることは、簡単なことではない。前にも書いたことがあるような気がするが、「まとも」であろうとすることは本当に難しい。本屋で就職対策本を読んでも何もわからないことだけは確かである。
こんな業種、というのは実はある程度決まっている。しかし当たり前だが、諸々を勘案すると簡単ではない。あと何年かはぷらぷらしてしまいそう…。周囲の方々、すみません。