国民国家?

大学に入学して最初に受けた哲学の講義は、アーレントレヴィナスデリダという三人のユダヤ人哲学者を順に扱うものだった。その頃はいま以上に歪んだ世界観をもっていたし、頭も相当にかたかったので、内容を十分に理解できていたとは思えない。しかし、シオニズムという言葉を知り、その内容を聞き、大きな違和感をもったことはよく記憶している。
現在起こっていることは、ユダヤ人とムスリムの対立ではない。イスラエルパレスチナという二つの国家の対立である。「イスラム原理主義組織ハマス」が問題とされているようだが、そのような言い方をするならば「ユダヤ原理主義組織リクード」という言い方があってしかるべきだろう。ハマス武力行使をテロと呼ぶならば、イスラエルはテロ国家そのものだ。イスラエルという国家自体が犯罪的な出自をもち、それを継続させているというのが実情だろう。それにしても、イスラエルというものの存在がよく理解できない。宗教と、国民国家という近代的な原理がどのように接合されているのか。実際には宗教など問題になっていないのだと断言すべきだろうか。建前はどうでもよい。もしかしたら、宗教国家こそが最も強力に国民国家の原理を実現するのかもしれない。(単一のイスラム国家が実現したら、それこそが「共和主義」と呼ばれるべき形態になるのだろうか)
ガザの人々は自分たちの住む地を「天井のない地獄」と呼んでいるらしい。ガザは強制収容所になっている。ナチスの蛮行には合理的な理由などなかったとしばしば言われる。現在のイスラエルの攻撃にも、ほとんど合理的な理由などない。蛮行であるだけではなく、愚行でもある。強制収容所の人間たちが生きることに疲弊し絶望し、無抵抗の動物になることを望んでいるのか。恐怖による支配を完轍しうるとでも考えているのだろうか。
難しいのは、ハマスという組織がけっして支持に値するものではないということだ。とはいえ人々の支持を集める理由はよく理解できる。せめて、攻撃が終わって「勝利宣言」をした後で、イスラエル人にむかって「君たちの安全は守られる」という声明くらいは発するべきなのではないだろうか。パレスチナによる暴力行使を「道徳的に」非難する資格は誰にもない。しかし現状では、暴力を行使することによって相手に「自衛」というジャイアン的な正当化の理由を与えることにもなる。本当は武力の差によって、自衛や先制攻撃もないというのが現状なのだろうが。さしあたりは、エジプトとの間にトンネルを掘り続けること以外にはないのかもしれない。絶望的…。