一年の終わり

一年が終わった。さっき除夜の鐘は叩いてきたので、年は改まったが、まだ始まったという気分ではない。
晦日まで論文を書き続けて終わったため、まだその熱が残っているような気分だ。今日まで取り組んでいたのは、共著の短いもの。半ば相手が定めてくれた問題設定の中で書き、その変更を申し出たのは部分的なものにすぎなかった。そのようにして、つまり、別の誰かが発した問いの中で物事を考えたり書いたりすることは、比較的容易な作業なのだということをよく理解できた。もちろん、細かい表現に至るまで突き合わせる作業はずいぶんな時間を割くものではあるけれど、行き詰まりというものを感じることはない。逆に、それまで気づくことのなかった多くのことを理解することができた。
それに対して、三日ほど前に速達で送った論文のほうは、本当に苦労した。九月に学会で発表したものを書き直すというだけの作業のはずだったのに、ぎりぎりまで時間をかけることになった。原稿用紙にしてたった30枚ほどのものを完成させるのに、実に半年ちかくかかったことになる。身も心も削るとはこのことかと、いまになって思う。それでも大したものができあがるというわけではない。そういうものだということも、改めて学んだ。
博士論文を書くにあたっては、アイデアをぶちまけるために長く書き、半分くらいに刈り込み、その後で改めて説明し直すというくらいの作業は、最低限必要になりそうだ。考え書くことを可能にするのは、考え書くという訓練以外のものではない。
自分の専門に関して研究を深めることで、別の分野を研究している人たちと会話し、別の分野の本を読むことの中から得るものが増え、また自分の研究をさらに深めることができる。幅と深みは、同時にしか獲得することができないのだろう。
生活の面では、相変わらず苦労も多い。こうやって人は生きていくのだな、と思うこともある。途方にも暮れた。しかしまた、毎日の生活を重ねて、いろいろなことがあって、そうして時間が経過していくということの中でしか見えてこないものは、実に多い。それ以外のものはないと言ってもよいのかもしれない。なるようにしかならない中で、できる限りのことをしていけたらと思う。