夏休み

くそ暑いですね。意地になってエアコンを使わないので、家では生きた心地がしない。今日は近所の区立図書館に逃げ込んだ。これでは結局、電気代をケチっているだけではないか。
論文の準備のために、アルカイダビンラディン、テロ関連の本を積み上げていた。物騒ですね。隣の学生は分子生物学の勉強をしていた。人生いろいろだ。
ようやく夏休みに入って約一週間。安楽な日を送っている。いやいや、つらかった。夏期講習なんてものは忘れてしまいたい。本当に忘れてしまうのではないかと、少し不安。忘れてしまいたいような、忘れてはならないような、人生ではそんなものがきっとたくさんありますよね。
最近は少しルソーを読んでいる。それで思ったけれど、ルソーとニーチェって、少し似ていませんか。『この人を見よ』と『孤独な散歩者の夢想』も位置づけとしては同じようなものだし、迫害されているという意識も、そんな気がする。まあ、浅薄な印象です。しかしこの浅薄な印象というのが厄介で、無意識のうちに思考の方向を定めてしまうことがよくある。どんな論文も最初の勘から自由ではない。まあ、何かに結実してから考えればいい話なんだけれど。
写真はおまけ。数か月前に撮影した、区立図書館の前庭。平和ですね。(写っているのは知らない人です)

また来年

今年、我が家のベランダの真下に、燕が巣を作った。これまでは二年連続で巣を作っている途中でカラスに壊されてしまっていたのだけれど、今年は子供たちが誕生して、元気にうんちを落としていた。

これは今月5日に撮ったもので、たぶん、生まれたその日か翌日にあたる。目は開いていないし、ほとんどハゲちょろんの状態。頭にはぱやぱやとさみしく毛が風に揺れていた。そういえば、象の頭から背中にかけても、似たような毛の生え方をしている。ぴよぴよと鳴いてもそれが弱々しく、間近で聞いていても、遠くで鳴いているような聞こえ方だった。いっちょまえに餌を要求するのに、与えられた虫をげろっと吐き出したりしていた。


こちらは昨日撮影したもの。わずか二週間でこれだけ大きくなった。首まわりの赤が親よりも薄いけれど、羽毛がふわふわしているせいか、親よりも大きく見える。数日前からもはや巣に収まりきらず、はみ出している。食べたものの量に比して、大きくなるペースが恐ろしく早いように感じる。灰色の体と黄色い口の中というコントラストがはっきりしているのも、あまり長い時間のことではない。警戒心も、あるのかないのかよくわからない。落ちそうになったときのはばたきも立派なものだ。夜になると親鳥が巣の両側で子供たちを守るような格好だったけれど、一緒に並ぶと、もはやどれが親なのかはわからない。
幼稚園、小学校と、燕が巣を作るのは当たり前だった。大人になってからこれだけ間近に燕を見るのは、はじめてのことだった。あの頃は印象が深かったせいか、燕の子育ては長きにわたるものだと思い込んでいた。年中組のときには、巣を壊したカラスに、若い先生が本気で怒っていた。考えてみると、その先生も、たぶん20代の前半だったはずだ。実際には、燕はあっという間に大きくなる。
今朝、ゴミ出しのために外にでたら、すでに燕たちはいなくなっていた。朝早くに巣立ってしまったようだ。どうしても巣立ちを見たかったので、少し寂しい。二度寝をした後、燕の鳴き声が聞こえて窓辺に行くと、四羽の燕が遠くのほうを飛んでいたのが、少しだけ見えた。また来年。

〔追記〕
夜七時くらいになってぴーちくぱーちく聞こえると思ったら、燕たちが帰ってきていた。餌とりの練習にでも行ってきたのかしら。結局親にも食べさせてもらっていた。

真理、発見しました

今日、授業の後で学生からこんな言葉を投げかけられた。
「先生、ひとつ真理を発見しました」
すごくありませんか? この言語感覚。身につけようと思ってできることではない。あまり友達もいなさそうだけれど、こういった種類の言葉を発してしまうと、きっと排斥されてしまうのだろうなあ。それでも、ネット上で怪文書を書き連ねるのではなく、面と向かって他人に発して、戸惑わせてほしい。この感覚を守りぬき、磨いてくれることを切に願ってしまう。
その「真理」の内容については問うなかれ!

金と時

やっぱりサッカーっておもしろいですね。以前は深夜に海外のサッカーをやっていたような気がするけれど、最近は見かけない。地上波だけでも楽しめるのがよい。オリンピックだと、世界的に見ればどれだけへっぽこであっても日本選手が出場する競技ばかりが放送されて退屈だけれど、ワールドカップはいろいろなチームが見られるのが楽しい。オリンピックはバスケットがまったく放送されなかったような気がする。
最近はデカルト啓蒙主義にこっている。これまで本当に勉強していなかったのだなあと痛感。『省察』なんてこれまで五回くらいは目をとおしていたような気がするけれど、どんな体系になっているのか理解していなかった。というわけで、非常勤で六回にわたってデカルトを扱ってしまった。学生の質問に答えようとしたらそうなった。おかげで勉強になった。やっぱり偉大ですね。その流れでカッシーラーの『啓蒙主義の哲学』も再読。これまた以前読んだことがあったけれど、デカルトがわかっていないと、啓蒙主義の意義もよくわからない。こちらも得るところが大きい。それにしてもカッシーラー、変態的な博識ですね。というわけで、ようやく17世紀から18世紀にかけての思想史に対する一定の理解を作ることができそう。今年は研究ではなく勉強が中心になりそう。後期の講義も、デカルト、啓蒙、ロマン主義という流れでいけば、こちらも勉強になるし、学生としても、現代の日本も支配する基本的な議論の配置が理解できるようになるかもしれない。
大部分が理系の学生で、しかも160人が科目登録をしていて、最近の学生は勤勉なのか、そのほとんどが毎回出席してくる。最初は緊張して講義が終わった後はぐったりしていた。いまもあまり変わらないけれど。そして確信したのは、哲学はやはり理系の学生がやるべきだということだ。質問の紙を回収してみると、驚くほど勘が鋭い。少なくとも、学部の同級生を思い浮かべてみても、彼らのほとんどよりも鋭い。まあ、自分の講義がすばらしいからだということにしておこう。
とはいえ、読書の時間のほとんどは電車の中。仕事が忙しい……。はやくも限界を感じてきた。肩こりが治る暇もない。教育産業は給料が高いから暇なのかと思いきや、そこまで高くもなくそして死ぬほど忙しい。暇人として生きることを目標にがんばっていたのに、どこかで予定が狂ってしまった。何より大事なのは金と時。

鳩山首相は偉大な政治家なのかもしれない

記者会見を見た。どんな言い訳をするのかと思っていたら、「なぜ言ったことを実行することが不可能だったのか」ということを明快に説明していた。正直に言って、けっこう驚いた。日本の政治家の言葉の中心は「何でもやります」あるいは「何でもやれます」と「適当な言い逃れ」のセットというのが相場だが、そういったものではなかった。

鳩山氏が前提としていたことは一点。安全保障は国家にとって必要であるということ。その上で明らかにしたことは二点。一点目は現在は日本がアメリカの属国であること。二点目は、多くの人が基地移転をすべきと言いながら、実はどこにも移転したがってはいないということ。鳩山氏の前提を認めるならば、二点目の事情があって一点目が成立していることになる。そのうえで鳩山氏は二つの解決策を提示した。ひとつめは、日本国内のどこか別の場所へ本当に基地を移転してしまうこと。ふたつめは、アメリカ依存とは別の安全保障の枠組みを作り出すこと。自分が言ったことを可能にする条件と、それが現行では不可能であることを言い切った。

それ以上に重要な功績があったように思う。一つ目は、政治に新しい語り口を導入したこと。政治家は万能ではないという当たり前のことを示し、「強いリーダーシップ」というのが政治においていかに阿呆らしいかを明らかにした。何がどのような理由で困難で、何が誤りだったかを語ることは、当たり前でありながらこれまで難しかった。二つ目は、日本に政治が存在していないことを示したこと。政治家への要求はあっても、政治は存在していなかった。少なくとも、だからこそ政治の出発点の可能性を示した。

もうひとつ付け加えるならば、これまでのメディア的かつ野党的な政治(家)批判の論法が通じないような発言をしたことを挙げることができる。これまでどおりの批判の論法が繰り返されるとしたら、鳩山氏の発言の意義は限りなくゼロに近づくことになる。そして、政治が存在することを避けようとするならば、それ以上の策はない。果たしてどのような種類の批判が出現するのか。

墓参り旅行

連休中に木曾まで行ってきた。道路が混む時期に高速道路を利用するのは、もしかしたらはじめてかもしれない。もちろん自分で運転するわけではなく、バス利用だ。電車の接続がえらく悪いなかで見つけたこの交通手段、日程をまったく考えていなかった。とはいえ、だらだら過ごすことに決めていたので、苦にはならなかった。本を読んだり眠ったり。
行ったのは奈良井という場所。かつて中山道の宿場町として最も栄えた場所のひとつらしい。いまは街並みを保存することになっているらしく、古い建物が通りの両側にそのまま残されている。

そのため観光地化しようにも限界があるらしく、商売臭さをあまり感じない。日中は混んでいるけれども、宿も同じような古い建物を利用したものしか存在せず、ここに宿泊する人は少ない。写真は二日目の朝に撮ったもの。遠くに山並が見える。

こちらは宿の外観。二階の部屋は壁ではなく襖で仕切られているという、なかなかの作りになっている。我々は一階の道路に面した部屋に宿泊。こちらも外から鍵をかけることができず、廊下とも障子一枚で仕切られているだけ。部屋数が少ないので音が気になることはない。
旅行の本当の目的は、奈良井から一駅だけ東京寄りの平沢という集落にある、祖父の墓参りをするため。これまで一度しか行ったことがない。川沿いの道をてくてくと2キロほど歩いて向かう。桜がちょうど満開の峠を越えたあたりというところだった。
理由はよくわからないけれど、虫がとても多い。後で気がつくと、奈良井の通りを、たくさんの虫が坂の上から下へと流されるようにして飛んでいるのだか漂っているのだかしていた。山の中だからだろうか。のどかに晴れていて、観光客の姿も地元の人の姿もあまりなく、ここ最近でいちばんの散歩道だった。
墓はきれいだった。そこには一族の墓が集まっていて、その前は芝生に覆われ、草花が咲いていた。自分とどのような繋がりがあるのかよくわからない人ばかりではあったけれども、とりあえず順々に拝んできた。祖父が東京に出てきていなかったら、自分もこんな場所に育っていたのだろうか。



平沢の街は、奈良井よりもさらに観光地化されていない。というよりは、純粋に人が生活するための集落だ。食事をするような場所も存在しない。ちょうど7年に一度という祭も行われていた。漆器づくりが産業の中心らしい。
しかし観光地化されていないということは、「観光客」にとっては苦しいものになることもある。トイレだ。駅にしか公衆便所は存在せず、懐かしの汲み取り式。奥様にはたいへんな苦痛だったらしい。便所を作り変えるか否かが集落の未来を左右するのだろう。
帰りは帰りで渋滞につかまる。その途中で奥様と行ったしりとり対決が、何かに取り組んだ唯一の時間だった。一時間半にわたる勝負の末、なぜか熟考の末に「迂遠」という単語を発した奥様の負け。とはいえこちらも疲労困憊。大人のしりとりとは斯様に苛酷なものであるか。そのようにして旅行は終わった。

引用集

ワードファイルにして100頁を超えるF氏の引用集を、2年前くらいに作成していたことに、今日気づいた。引用を集めたことがあるという事実は覚えていて、講義で使えないかと思って開いてみたら、それだけの分量になっていた。博士論文を書くときには一度も使用していない。
やはりかなり抑圧していたようだ。自分がおもしろいと思ったかどうかではなく、F氏の思考の骨格を再現することだけを考えていたために、引用は可能なかぎり「著作」に限定し、「論文」「対談」「インタヴュー」を除外していった。変な禁欲かもしれないが、著作にならなかった思いつきに対して、主観的な読み込みによって過度の重要性を与えることを避けようとした。
今日になって読み返してみて、やっぱりおもしろい。著作で「研究者」の顔を見せるのに対して、その他では「知識人」の顔をしている。理論的な重要性が前者にあるのは当然だが、読んでおもしろいのは、当然のことながら後者だ。そんなわけで書籍化を目論むときには、もう少し知識人的な側面も盛り込んで、理論的な探究との交錯も描けるようにしたい。
しかし論文を書くときの禁欲によって得たものは実に大きい。無駄を削ぎ落として匿名性を得るつもりでなければ、ただの自己満足に終わることもよくわかった。研究の方法も得たし、逆に、そこには収まらない自分の特性も理解できた。自分のアイデンティティは「研究者」ではない。しかし研究以上の訓練は他にない。それが軸になければおそらく何もできない。いまは講義の準備をメインにしているが(なにしろはじめてだから)、実際に講義をする前にすでに楽しい気分になっている。大教室とはいえ、とりあえず、研究としてではない仕方で哲学に関わる。よい。
何度も読み返した本を、あらためて新鮮な気分で読み返すことができる。