金と時

やっぱりサッカーっておもしろいですね。以前は深夜に海外のサッカーをやっていたような気がするけれど、最近は見かけない。地上波だけでも楽しめるのがよい。オリンピックだと、世界的に見ればどれだけへっぽこであっても日本選手が出場する競技ばかりが放送されて退屈だけれど、ワールドカップはいろいろなチームが見られるのが楽しい。オリンピックはバスケットがまったく放送されなかったような気がする。
最近はデカルト啓蒙主義にこっている。これまで本当に勉強していなかったのだなあと痛感。『省察』なんてこれまで五回くらいは目をとおしていたような気がするけれど、どんな体系になっているのか理解していなかった。というわけで、非常勤で六回にわたってデカルトを扱ってしまった。学生の質問に答えようとしたらそうなった。おかげで勉強になった。やっぱり偉大ですね。その流れでカッシーラーの『啓蒙主義の哲学』も再読。これまた以前読んだことがあったけれど、デカルトがわかっていないと、啓蒙主義の意義もよくわからない。こちらも得るところが大きい。それにしてもカッシーラー、変態的な博識ですね。というわけで、ようやく17世紀から18世紀にかけての思想史に対する一定の理解を作ることができそう。今年は研究ではなく勉強が中心になりそう。後期の講義も、デカルト、啓蒙、ロマン主義という流れでいけば、こちらも勉強になるし、学生としても、現代の日本も支配する基本的な議論の配置が理解できるようになるかもしれない。
大部分が理系の学生で、しかも160人が科目登録をしていて、最近の学生は勤勉なのか、そのほとんどが毎回出席してくる。最初は緊張して講義が終わった後はぐったりしていた。いまもあまり変わらないけれど。そして確信したのは、哲学はやはり理系の学生がやるべきだということだ。質問の紙を回収してみると、驚くほど勘が鋭い。少なくとも、学部の同級生を思い浮かべてみても、彼らのほとんどよりも鋭い。まあ、自分の講義がすばらしいからだということにしておこう。
とはいえ、読書の時間のほとんどは電車の中。仕事が忙しい……。はやくも限界を感じてきた。肩こりが治る暇もない。教育産業は給料が高いから暇なのかと思いきや、そこまで高くもなくそして死ぬほど忙しい。暇人として生きることを目標にがんばっていたのに、どこかで予定が狂ってしまった。何より大事なのは金と時。