墓参り旅行

連休中に木曾まで行ってきた。道路が混む時期に高速道路を利用するのは、もしかしたらはじめてかもしれない。もちろん自分で運転するわけではなく、バス利用だ。電車の接続がえらく悪いなかで見つけたこの交通手段、日程をまったく考えていなかった。とはいえ、だらだら過ごすことに決めていたので、苦にはならなかった。本を読んだり眠ったり。
行ったのは奈良井という場所。かつて中山道の宿場町として最も栄えた場所のひとつらしい。いまは街並みを保存することになっているらしく、古い建物が通りの両側にそのまま残されている。

そのため観光地化しようにも限界があるらしく、商売臭さをあまり感じない。日中は混んでいるけれども、宿も同じような古い建物を利用したものしか存在せず、ここに宿泊する人は少ない。写真は二日目の朝に撮ったもの。遠くに山並が見える。

こちらは宿の外観。二階の部屋は壁ではなく襖で仕切られているという、なかなかの作りになっている。我々は一階の道路に面した部屋に宿泊。こちらも外から鍵をかけることができず、廊下とも障子一枚で仕切られているだけ。部屋数が少ないので音が気になることはない。
旅行の本当の目的は、奈良井から一駅だけ東京寄りの平沢という集落にある、祖父の墓参りをするため。これまで一度しか行ったことがない。川沿いの道をてくてくと2キロほど歩いて向かう。桜がちょうど満開の峠を越えたあたりというところだった。
理由はよくわからないけれど、虫がとても多い。後で気がつくと、奈良井の通りを、たくさんの虫が坂の上から下へと流されるようにして飛んでいるのだか漂っているのだかしていた。山の中だからだろうか。のどかに晴れていて、観光客の姿も地元の人の姿もあまりなく、ここ最近でいちばんの散歩道だった。
墓はきれいだった。そこには一族の墓が集まっていて、その前は芝生に覆われ、草花が咲いていた。自分とどのような繋がりがあるのかよくわからない人ばかりではあったけれども、とりあえず順々に拝んできた。祖父が東京に出てきていなかったら、自分もこんな場所に育っていたのだろうか。



平沢の街は、奈良井よりもさらに観光地化されていない。というよりは、純粋に人が生活するための集落だ。食事をするような場所も存在しない。ちょうど7年に一度という祭も行われていた。漆器づくりが産業の中心らしい。
しかし観光地化されていないということは、「観光客」にとっては苦しいものになることもある。トイレだ。駅にしか公衆便所は存在せず、懐かしの汲み取り式。奥様にはたいへんな苦痛だったらしい。便所を作り変えるか否かが集落の未来を左右するのだろう。
帰りは帰りで渋滞につかまる。その途中で奥様と行ったしりとり対決が、何かに取り組んだ唯一の時間だった。一時間半にわたる勝負の末、なぜか熟考の末に「迂遠」という単語を発した奥様の負け。とはいえこちらも疲労困憊。大人のしりとりとは斯様に苛酷なものであるか。そのようにして旅行は終わった。