体力

研究で得たものを改めて考えてみると、むつかしい本を読めるようになったということ以外には何もないということに気づかされる。げんなりする現実だ。いったい何をやっておったのだろう。できるようになったのがこれだけなのだから、もちろんまだ何もやっていないことになる。よくわからない自己規制を続けた結果、つまらない論文しか書けなくなってしまった。いいかげんにもう終わりにしないと。
学問という形式が、生きることにとっても哲学にとっても、実に小さな一領域であることを強く感じるようになってしまってから、何か、どこから手をつけてよいのやらわからないような状態になってしまった。対象領域を限定することで、その限定された小さな領域で正確な知を生産する。そのこと自体の大切さはよく理解しているし、その限定を無視しながら学問を装う言説のくそくだらなさもわかってはいるし、その種の論文を読むと徹底的にこき下ろすことにしている。それでも禁欲が過ぎると頭がおかしくなりそうになる。限定された小さな領域のその外側はどうするんだよ、ということばかりが気になってしまう。だいたいおもしろいことというのは、学問的な正確さとは無関係なことが多い。このままでは本当に修業時代のままで死んでしまう。かといって修行を放棄したら何もやっていないことになる。困ったもんだ。
この妙な禁欲状態と長きにわたる求職状態が、俺の場合は強く関連している。とりあえず食っていけているんだから、そんなことは気にしなければいいんだけど。しかしその食っていけている状態というのがなかなかしんどい。いまはとにかく体力がほしい。体力増強が今年の課題ですね。