理解できないと不安

今日は仕事があるということを忘れていた。というよりは、「ある」という可能性をまったく考えていなかった。どうやら「昼間の授業はなし」というのを、「今日の授業はなし」というのと勘違いしていたらしい。手帳には「授業なし」と書いてある。山形人(たぶん)から電話がかかってきて、それで知った。少し焦ってしまった。約三週間ぶりなので心の準備をしたかったのに、そもそも授業の準備もしていなかった。おまけに電話に気づいたのは、授業が始まってから30分後。ごめんよ生徒たち。結局、来週補講をすることになった。変な汗をかいちゃったよ。
本日は岩井克人の『貨幣論』の文章。難しいですね…。大学生の頃に読んであまりよくわからなかった記憶がある。へっぽこ高校生たちが読んで、まともな答案を作れるはずもない。出題者はいったいどんな了見をしているのだと電車の中で怒ってみる。大学で勉強をするうえで、「これがわからないと困る」という種類の文章を出題してほしい。テキストの編者も、「こんなのはできなくていいんです、大学馬鹿野郎」くらいのことは言ってほしい。まあ、教えるほうとしては、生徒が一読してもさっぱりわからんという種類の文章のほうが訓練になるんだけど。その意味では今日は成功。
まあ、難しい文章を理解するために必要なのは、一に根性、二に根性なので、「わからないという状態に耐えながら理解するための努力をする」という訓練にはなっているのかもしれない。理解するというのは、理解できないものを理解するということなので、最初に読んで理解できないものでないと、理解するというのがどういうことなのかわからない。でも、理解できないという状態はしばしば人を不安にさせるので、難しい文章に出会うと、根性がないと放り出すことになってしまう。理解できない不安と闘いつつ、理解しようとする根気をもつこと。これが大切です。みたいな話をする。それでも岩井克人はねえ。