擦り切れ

最近、会う人会う人に「やせた?」と聞かれる。実際はあまり変わっていない。ふだんはジーンズなのが別のズボンをはいていたり、髪の毛を切ったり、何事もなかったりで、そんなふうに聞かれるらしい。この前、家族で写真を撮る機会があって、兄と二人で、老けたものだと思ったわけです。お互い疲れが滲み出ていてねえ。要するに、やせたのではなく老けたのでしょうね。ぼちぼち髪も抜け落ちるのでしょう。
論文を書いていて、あと五年くらいあれば立派なものが書けるのに、と思うようになった。書いてみてようやく、必要な知識がどういうものなのかがよくわかるようになった。まあ今回は研究の方向性を定めるくらいに思っておこう。いつまでも思春期でモラトリアムの少年のようだ。いろいろ読んでいて、とある19世紀の思想家に興味をもったので、終わったら読んでみよう。しかし誰々研究ってスタイルは、やっぱりしょぼいですね。そのしょぼい形式での研究もこれまで満足にできていなかったのだから、いった私は何をやっていたのでしょう。先は見えた。しかし到達点はしょぼい。手探り状態ってのは自分のやっていることのしょぼさがわからなくて、ある意味では幸福なのかもしれない。
思想史的テーマだけでなく、何を考えようとしているのかを、もう少しはっきりさせたいものです。でないと擦り切れちゃう。