対象の選択

「認識することは対象に暴力を加えないではできない。認識への情熱とは、対象を(あるいは体系)を美的に享受して陶酔することではまったく無縁であり、むしろ相手を理解しながら同時に強姦するよろこびである。」(丸山眞男
思想史研究者が忘れてはならない言葉である。「研究対象への愛」こそが大切だと言って盛り上がっている院生を見て唖然としたことがある。死ぬまでやっていればいい。
だが自分の場合は、そもそも対象の選択を誤ったような気がする。理解したのは、そこにあるのは、自分が求めていたものとはちがったということである。哲学が「知」を巡るものであることはわかるけれども……。
どうしたものか。