結婚制度

既婚者の中には熟知している方々も多いとは思うが、結婚というのはなかなか大変な作業である。難しいと思っていた問題が実に簡単なことだとわかったり、逆にあまり深く考えていなかったことが大きな波紋の可能性になったり…。頭を使う。論文を書くよりもはるかに。というか、専門は結婚ですと言いたくなるくらいの状態にある。研究者を目指しているせいか、社会性というものを自分が欠いているのではなかろうかと心配になることがあるのだが、そんなことを思う暇もなくなる。まさに制度や社会の中で自分が生きていることを強く実感させられる。結婚という制度の機能と意義も、話を進めながら実に深く理解することになるのである。文化人類学の中核に親族制度があるわけだが、なぜそうなのかということを肌で実感することになる。
そう、結婚するわけです。博士論文の執筆と日々の糧を稼ぐのに忙殺された貧乏院生が、結婚してしまうのです。あらら、大丈夫かしら。なんでそんなに忙しい時期にと聞かれても、まあいろいろありましてと言うしかない。様々な要因があって、論文提出の期限と結婚式の日がほぼ重なるということになってしまった。思うように書けなかったということもあるわけで。なんで暇なときにしておかなかったのかと聞かれても、それにもいろいろな理由がありましてと言うほかない。先のことなんてわからないし、いま何が起こっているのかも実はよくわかっていないのかもしれない。おそろしや。制度の中で「うまく」生きることのできる人というのは、その制度の仕組みを熟知し、それぞれの人が制度をどのように理解しているのかということを理解し、調整していくことができるのだろう。少なくとも、他者と遭遇することを恐れずに生きるためにはそうなのだろう。そういった人が、おそらく「大人」と呼ばれるんでしょうなあ。大人養成機関に入ったようなものです。
結婚にものすごくロマンチックな夢と願望をもち、純粋な愛だけが大事だと言葉では言いながら、自分の打算を意識することのできない人が相手だと苦労するのだろうなあ、とも思う。結婚していない社会学者には、もしかしたら大事なことはよくわからないのかもしれないと、ちょっとした偏見をもつようになった。