大事なところで言葉を失う

さて、その席で某哲学者を研究している大学院生を紹介された。名前だけはどこかで聞いたことがあるような…。彼と会話をしていて、当然のことながら「どんな研究されているのですか」と聞かれる。当たり前ですね。自己紹介は研究内容によって果たされるのがこの世界の慣習であります。そこで驚いたことに、私、まったく喋れませんでした。はて、私は何をやっているのだろう。喋ろうと思うと呼吸が苦しくなり、視界が狭くなり、立っていられなくなった。あれ、これはどこかで経験したことがあるような…。そう、口頭発表がうまくいかなかったときと同じ現象。どうしてこんな酒の席で同じようなことが起こるのか。私は頭がいいのです、すばらしい研究をしているのですということを言いたくて、しかし唐突だったので何も言えず、というところに原因があるのだろうか。そうだとしたら阿呆にもほどがある。あるいは、どこまでが共有されている語彙なのか、また、研究していることに対するシニカルな態度をどこまで表明していいのか、どこまで真面目に話していいのかということがわからなかったからかもしれない。もう少し会話のための簡単で当たり障りのないフレーズ集でもあらかじめ作っておくことにしよう。もうこれはほとんど病気の域ですから。
しかしまあ、情けない話ではある。研究者が研究について話すと言葉を失うだなんて。村上春樹の『ノルウェイの森』で、地理学を専攻している「突撃隊」とあだ名されている、地図と言うたびにどもる地図作りを職業にすることを希望する学生が登場するけれど、それよりもひどいのではないだろうか。変な自意識をもっているのか、他人に対する恐怖心や警戒なのか、両者なのか。困ったものだ。