街がない

風邪をひいているというのに眠れない。来週には発表も控えているというのに。こんなタイミングで体調を崩すのは久しぶりだ。
寝床の中でぐちゃぐちゃと考え事をしていた。支離滅裂である。そのうちの一つ、引っ越しについて書いておくことにしたい。
引っ越しをしようかという話は、ここに住み始めてからあまり時間の経たないうちから出ていた。東京育ちの同居人には、ここ埼玉南部はいささか住みにくいらしい。私自身は同じ県のもう少し北で生まれ育ち、さほどの違和感はなかった。むしろ住みやすいと言ってもよい。研究室まで徒歩約五分という場所にあるボロアパートに四年ほど住んでいたころ、確かに便利で街の雰囲気もよかったが、車の多さと家賃の高さに、早く東京を離れたいという気持ちになってたことも事実である。二人で暮らすことを決める前に、同じマンションの単身世帯用の部屋に移り住むことを考えるようになったのも、そのような理由からである。一人暮らしを始めたことには様々な理由があるが、実家は大学に通えなくもないという距離にあったが、通勤電車に揉まれることに文字通り耐えることができなくなったというのもそのひとつである。しかし、毎日のように大学へと通う必要もなくなり、まともな住まいを優先しようと思うようになった。
ここは静かで、子供が多い。皆、金を多くもっているようには見えないが、それなりの生活をしている。若い夫婦の数も、以前住んでいた場所とは比べものにならない。大きなショッピングセンターもいくつかあり、そこでは休日の父親が子供たちを引き連れている。そのような光景を見るのは楽しいものだし、自転車があれば必要なものはすべて揃えることができるという便利さもある。不満をもつような理由はほとんどなかった。
しかし、ここが東京とはちがうというのも、感じてはいた。実家に住んでいたころは東京との違いなど感じたこともなかったが、どうやらそれは確かにある。いま感じているその違いとは、ここには「街」がない、ということだ。人はきれいな家に住んでいるし、駅前にはいくらかの商店もある。共産党の演説も行われている。しかし、それでも街はない。個人で営んでいる商店はほとんどなく、もちろん商店街というものも存在しない。チェーン店やその紛い物、やかましい携帯電話の店舗、隅のほうには風俗店などがあるだけだ。もちろん、一息つくための喫茶店などが立ち行くような環境でもない。通り道はあっても、留まるための場所はないのである。
留まるための場所だけではなく、あらゆるものに繋がりがない。空気もない。古いものはなく、汚れたものばかりがあちこちに点在している。家と道と商品交換所、それしかない。
もしかしたら、日本中、似たような光景なのかもしれない。だから街を求めて狭い場所に人が殺到する。私のような貧乏人が住むのはなかなか難しい。人ではなくて場所。場所が人を作るということもあるかもしれない。ここを出て行くということを考えさせるもの、この場所が為せるわざなのだと言ってもまちがいではないだろう。しかしそれでも、ここもさほど悪くはないと言いたいような気もある。「街」など、本当に他の場所にあるのか。ならば、同じような「ここ」で生きていくしかないのではないか。そう思ってしまうのである。