来る日も来る日も、考えるべきは金と職である。大学院に入って以来のことだが、ここのところはその重みと頻度が違う。年齢と環境ですね。さてどうしたものかと言ってもどしようもない。困ったものだ。
その昔ホリエモンが「金があれば何でも買える」と言ったが、一点を除いてすべて正しい。彼は男前とは言えずともまともな外見をしているし、金もあるし、知名度もあった。そのような種類の人であれば、金でほぼ何でも買うことができる。「愛」なんてものも。相対的には、だけど。無職で若くして禿頭で下品で有名だとしたら、金があっても「愛」を買うことができないのはまちがいない。それ以外でも、購入するためには金の他に広い意味での「資格」が必要な商品はとても多い。問題はホリエモンが「金があれば何でも買える」という「事実」を発言してしまったことにある。たとえそれが事実であったとしても、それを言わないことではじめて買えるようなものがこの世には存在するということに気づいていなかったらしい。どこかの球団だかテレビ局だか(何だったか忘れた)を買うことは、結局できなかった。それは古い新しいの問題ではない。
こういったことは、私のような貧乏人も口にしてはならないことなのかもしれない。私の場合は、「金がないから〜が手に入らない」という言葉である。こちらもあまりにも真実を言い当てていて、本当に何も手に入らなくなってしまう。お金なんてなくとも、という幻想を他人と共有していなければ、本当に金がなくてみじめな思いを近い将来することになるだろう。現実に対しては、気づかないふりをするか、それを口にする機会を作らないか、そういったことが必要なのかもしれない。
ちょっとそれは無理か…。