学問の世界を比喩で表す

昨日の記事で「自慰」という表現は不適切なのではないかという指摘を、ある方から受けた。そこで考え直してみた。
研究者たちは、とりあえず学会での口頭発表や論文などで、他の人たちに自分の成果を公にする。その意味では決して自慰ではない。自慰であるならば、自分の頭の中で物事を考えるだけで、公表するということはないだろう。学問を自慰と同一視するならば、公表せずに研究を続けるという姿勢が適切だろう。
同質的な研究者仲間の内部でのみ自分の成果を公表するということは、セックスである。口頭発表であればコメントをもらうこともできるし、論文を書けば必ず誰かから何かを言われる。しかしそれは、同業者のみに限られる。つまり、相手が限定されているのである。その意味では閉鎖的だと言うこともできるだろう。セックスも、相手が限定されており、閉鎖的である。
相手を限定せず閉鎖的でもないということは野外での乱交ということになる。私が求めている人文学の姿というのはこれであろう。
しかし、もちろんこのような表現において自らの目指すものを指示したくはない。よって、この比喩は撤回する。無用な比喩など使うべきではない。