出版

関心があって出版関係の本を二冊ほど。前者は岩波書店前社長によるもので、後者は元編集者現大学教員が書いたもの。
大塚信一『理想の出版を求めて』トランスビュー
大変におもしろかった。こんな時代もあったのねというかんじ。そりゃあ仕事もおもしろいでしょうよ。おもしろそうと思いついた計画を(未来の)著者に話し、その人にもおもしろいと思ってもらい、実際に書いてもらって出版する。あればいいのにと思えば、なかったものがあるようになる。こんなにおいしい話はない。
いわゆる人文書の読み手がいたからこんなことが可能だった。教養主義が崩壊してしまったいまとなっては夢物語。読書離れなんて批判をしていないで、自分の足もと見なさいよ。
そんな批判が出るのも、もっともな本。しかし問題は、人文書の読み手ではなく、書き手が存在しないということなのではないだろうか。読み手はいます。少なくとも、今後しばらくは消滅しきってしまうことはない。少部数でも採算のとれる程度には、たぶん売れる。しかし、それを書けるような人間はいない。学会にいるなんてことを信じてはいけない。修行を自己目的化して自慰活動をしてばかりなので、他人とコミュニケーションができない。だから、非専門家に向けた人文書を書くことはできない。
あら、こんなことを書くつもりではなかった。言いたかったのは、自分のこれまでの認識とは異なって、人文書生産の中心は、著者ではなく出版社であるということだ。書き手を見つけて書いてもらって、それをうまく市場に乗るようにする。仲介。媒介。楽しそう。
基本的には、私、自伝や評伝が好きなのでしょうなあ。

長谷川一『出版と知のメディア論』みすず書房
記述が冗長すぎて苦痛。なんでこんな単純なことを小難しく言うのだろうかと感じた。余計な註も多すぎる。あんたも編集者だったんだろ。とある学問領域に遍在する悪しき傾向を体現したような本だった。内容はともあれ。
そう、内容だ。人文書の置かれた状況が理解できた。以上。
だからこそ、小難しく書く必要があったのだろうなあ。装飾勝負はいけません。もう少し歴史書として、落ち着いて書いてほしかった。