朝の商売

今日の日経夕刊の一面に次のような記事が載っていた。

 

午前7時半、まだ人通りも少ない東京・八重洲のオフィス街に女性12人が集まってきた。会議室のテーブルに海や山、犬や猫などいろいろな写真やイラストの絵はがきが無造作に150枚ほど置いてある。
 「何かひかれる、そんな気軽な感じで選んでください」。講師が呼びかけると、参加者は絵はがきをじっくり眺め、手に取る。「その絵の何が自分にとって大切なのでしょうか」と講師の尋ねる声が重なる。
(中略)絵はがきを選んだあと、参加者が輪になって思ったこと、感じたことを語りあった。太陽の色とりどりのイラストが気に入ったという会社員Aさんは「いろんなことに興味がある自分の性格が表れたのかな」と話す。「自分と向き合う作業をすると、なぜかほっとする。普段は仕事も忙しくて余裕がないから」(後略)

ちょいと待て。たとえばあれかい、「この犬の左耳が少し傾いているのが何だか愛おしいっていうか、私の中にあるやさしい心に触れてくるみたい」とか答えるのかい。だいたい「その絵の何が自分にとって大切なのでしょうか」という問いは意味を成しているのだろうか。「お前気軽に選べと言ったよな?」というのが正しい返答であるような気がする。あるいは「あまえ阿呆?」ってのが。これ、はやりの「朝活」の括りで紹介されているけれど、明らかに病んだ心を再生産するためだけの場所でしょう。講座名は「ボヌール」、フランス語で幸せ。それはないでしょ…。まともな精神状態でいたら、けっして近づいてはいけない場所だと判断しそうなものだが。運営しているのはカウンセリング会社。そんなものが存在するんですねえ。
自己肯定感は生きていくうえで必要なのだろう。しかし「病んでしまっている自分」を肯定してもいいのは、その病んでいる状態を脱するための過程としてのみなのではないだろうか。「病んでいること」そのものを肯定して、そこに留まることに心地よさを感じてしまうってのはどうなのだろう。「いろんなことに興味がある自分の性格が表れたのかな」「自分と向き合う作業をすると、なぜかほっとする」ってのは、さ。会社ですからね。病んでいることに心地よさを感じてくれて、しかも写真めくりをするために金を払ってくれるような人を再生産することが必要なのでしょう。しかしそれを「朝活」として紹介する記者はさあ…。
記事には女性たちが写真を選んでいる姿を撮影した写真が掲載されている。もしも自分を見つめたいのだったら、太陽のイラストなんかではなく、自分の異様な姿が写されたこの写真をこそ選ぶべきだろう。
言っておきますけれど、あくまでも主観的な感想ですよ。