そいつが自然です

先日、高校一年生を相手に、「作為によって作られた制度が、あたかも自然のものであるかのように捉えられてしまう」という、よくある話の説明をした。一学期には丸山眞男なんかも読ませてあった生徒たちである。それで事例として、交通制度の話をした。歩いている人やら馬やらしかいなかった街路に車を走らせるようになり、信号機やら何やらを定着させる過程ってすごいですよねえ、みたいな。今ではもう、青色を見て止まらせることにしようとしても無理っすよね、なんて。
それでついでに、子供に対して、「車が通るから家の前の道で遊んではいけません」というのは正しいとされるのに、「子供が遊んでいるから車は通ってはいけません」ではなんでいけないんでしょう。渋谷駅前の映像がよくテレビに出るけれど、そんな場所みたいに人が多いところに、なぜあれほど交通量の多い道路を作ったのでしょう、通れないように細くすりゃいいのに。みたいな話をしてみた。阿呆ですか、という顔をされた。いや、いいんだけどさ。個人的に車が嫌いなだけだし。自然と作為という話をしたかったのだけど。
難しいんですよね、こういうの。ある種の作為が自然と感じられてしまうことの「気持ち悪さ」の感覚を教えることが。まさか彼らに対して「それが権力の内面化というのだよ」と言うわけにはいかないし。頭のおかしい人みたいに思われるからね。あれかしら、ユーモアのセンスの問題かしら。それともこちらがもう少し賢そうにしゃべるようにしたほうがいいのかしら。