腰痛押し問答と病院経営

いつまで経っても良くならない腰痛のために、今週再び病院に行ってきた。本とノートを同時に広げることができないくらいに乱雑になってしまった机と、相変わらずお粗末なままで自宅で二時間も読めば放り出してしまうフランス語の本を読む必要とで、何日間か図書館に出かけることになった。夜遅くにもなると、腰か膝のいずれかを曲げなければ歩けないほどになり、ガラスに映った自分の姿は、遙か未来を先取りしているかのような老人のものだった。
一回行っただけで病院に通わなかったのは、あまりの藪医者ぶりに憤慨したからである。足にしびれなどないと三回は繰り返したのに、その度に「足にしびれがあるということはヘルニアかもしれませんね」との返答を頂戴し、すでに持っているコルセットを売りつけようとされ、なぜか胃薬を二種類も出された。湿布までつけようとしたので、会計の場でそんなものに金を出す気はないと文句をつけたら、そういうことは次回から先生に言ってくださいとぬかしやがる。しばしの押し問答の末に会計を済ませて病院を出た。次回なんてありません。腰を痛めて何日かを寝て過ごしてようやく外出できるようになってのことで、病院に行くのは命の危険を感じたときだけにしようと決意したのだった。
しかし一か月経過しても少しも良くならないので、家のそばにある立派な建物の病院に行ってきた。その前に行ったのは、同居人に勧められた個人経営の病院で、近所の病院はぎっくり腰を診せに行くには少しばかり大袈裟な気がして避けたのである。結局は最初からそちらに行っておけばよかった。腰痛の大きな原因が、背中を丸めていることではなく、むしろ反っていることにあるのだということを教えられて驚いてしまった。長時間の作業の後で思い切り背中を反らせていたけれど、あまり意味はないようだ。逆に前屈で背中の筋肉を伸ばす必要があるらしい。確かに背中の筋肉が凝っているのだから、考えてみればそのとおりである。また体が硬いことも良くないらしい。私は極端に硬い。膝をまっすぐにしたままでは、脛の中ほどまでしか手が届かない。どうやら屈むときも背中の一部分しか使っておらず、上部はまっすぐのままらしい。そいつは知らなかった。しかし、どうせ体を柔らかくすることなんか無理なのだし、無理なことをやっても仕方がないので、もう少し腹筋をつけるべきだとアドヴァイスされる。ないものはない、あるもので何とかしましょう。いいっすね、その発想。その他いろいろ教えてくれる。何がヘルニアだ、あの藪医者め…。
そもそも開業医という制度がよく理解できない。経営に熱心な医者にはロクな人間がいない。開業医の年収は平均2000万円を越えている。おまけに日本でおそらくもっとも強力な同業者団体をもつ(もちろん医師会のことですよ)。深刻な病気を診ることは一切なく、治療と呼べるような治療をすることもなく、ぎっくり腰をヘルニアの前兆に転換して金をせしめようとする。その一方で救急医、産婦人科医、小児科医などが不足して、過労死が問題になっている。医師不足と言われているけれど、そこら中に病院が建っている。病院が老人たちのお茶飲む集会所になっているというのが実態ならば、もっと居心地のよいお茶飲み集会所を作ってそこに週一回くらいのペースで医師を派遣すればよい。
なぜ病院の個人経営が許されているのかよくわからない。医療行為の空間は、当然だが、通常の市場の空間からは切り離されている。良きにつけ悪しきにつけ、医療の充実は国家の政策によらずしては推進することができなかったはずだし、保険制度が維持されているのも、個人の利益という観点からのみ為されているのではない。あくまでも社会政策および公衆衛生の一環のはずである。医療が公衆衛生であるという事実は、必ずしも否定的に捉えられるべきものではない。しかし、それではどのような正当な理由があって、医師の経営の自由は認められているのだろうか。医療が社会政策・公衆衛生であるのだとしたら、そこから独占的に利益を得るというのは不当なのではないだろうか。そもそも医療空間は、市場とは隔離されている。にもかかわらず、仮に保険制度を撤廃すれば、彼らの経営も、今とは異なったものになる。
もしも医療が公衆衛生であることを肯定するのだったら、病院経営の自由は否定される必要がある。病院数は地域別に厳格に規制し、医師を強制的に配置するべきだろう。何もこれは不当な主張ではない。国家公務員も、営利企業の社員も、ほとんど強制的に勤務先を決定されている。ここにどのような問題があるというのか。地方国立大学の医学部の学生の多くが、その地域の外の進学校から入学し、経済的なエリートになるべく定められている。いっそのこと、医学部を大学の枠から外し、公的機関で医学教育を受ける者すべて地方公務員として遇し、その後はその自治体に所属する形で勤務するよう定める、ということくらいは必要なのではないだろうか。
少なくとも言うことができるのは、腰が痛い人間に、とりあえず「ヘルニアかもね」と言ってみるくらいのことは、医師の国家資格をもっていなくとも、誰にでもできるということである。