おくりびと

この前、話題になっていた映画『おくりびと』を見てきた。前日の新聞広告に池袋で朝10時から上映されているということを知って、このまま見逃してしまうわけにも行くまいと思って早起き。雨だったのでバスに乗ったところ渋滞で、諦めるしかないかと思ったが、予告編の終了とほぼ同時に館内に入ることができた。トイレに行く時間すらなく、最後の30分ほどは尿意と大格闘をしながらの映画鑑賞だった。私は新陳代謝が激しいのか、頻尿というほどではないにしても、映画くらいは余裕で最後まで見ることができるというほどではない。とある読書会が四時間ぶっとおしで開催されるのだが、そこでは途中でトイレに立つ人のほうが少数。不思議だ。
前置きが長くなってしまった。よい映画だった。物語のはこびがうまい。夫(本木雅弘)が選んだ納棺士という職業をやめてくれと訴える妻(広末涼子)が、偏見に満ちた「ふつうの人」に見えないような工夫など、プロットとしての重要性はないし、無駄に笑いをとっているようにも見えるのに、後から考えると物語全体の流れを壊さないやり方だったように思う。そして、他者との出会うことを死を通して描き出すということも、この映画の特徴だろう。納棺士は言うまでもないけれども、遺された人たちにしてもそれは同じなのだと思う。主人公が父と再会し、父であることを再認するのも、その死を通してだった。それにしても、本木雅弘に陰気で気弱で真面目で冴えない人間を演じさせると、これに勝る日本人俳優はいないような気がする。
あとは所作がよかった。技巧的な動きを自然に見せるには、おそらく修練が必要だろう。最初から最後まで演じきることは、多くの場面で何よりも求められていることなのかもしれない。特に深刻な場面においては。剥き出しの感情を流し込む通路になるのだろう。