潜水服は蝶の夢を見る

ビックカメラの上に映画館があるとはまったく知らなかった。おまけにチケットの売り場がどこにあるのかわからず、職員用の通路みたいなところに迷い込む。何度かカウンターの前を素通りしていたらしい。係りの人もおそらく気づいていたはず。声くらいはかけてくれ。普通の顔してチケットを買うことができないではないか。
開場まで時間があったので入った店はタイ料理。辛いものが苦手なくせして何を考えて、と自分でも思うが、睡眠不足で何も考えていなかったのである。胃の調子もあまりよくないというのに汗をかきながらの食事だった。
映画の原題は『潜水服と蝶 Le scafandre et le papillon』という意味らしい。私のもっている辞書には「潜水服」なんて単語は掲載されていない。それにしても日本語題名のつけ方はなかなかのものだと思う。原題がこれでも何ら違和感はない。もちろん好き嫌いはあるだろうし、凝りすぎの嫌らしさを感じるという人もいるかもしれない。でも、作品にうまくはまり込んだ題名だと思う。
感動的な話ではない。動けなくなる前の主人公はいけすかない人間の典型である。倒れてから後も、残される家族に対して何かを残そうと努力するのでもなく、気障で凝った言葉を執念深く発し続ける。おまけにそのほとんどが下らない人生と陳腐なイメージが中心である。そこしか動かない眼球を使ってやり遂げるのに必要な精神力は想像を絶する。遺書にしてはあまりにも壮大にすぎる。周囲の人々もまたそれに協力を惜しまない。いったい何が彼らを動かすのか。体が動かなくなる前の名声なのか、そのような人間が体を動かすことができなくなったという事実なのか、それとも、それが仕事だからなのか。始めることはできても、続けることが容易なこととは言えない。それを続けさせたのは何なのか。
特殊な方法で続けられた執筆が完了した直後に、主人公は死ぬ。どのような物語だったのかと聞かれれば、ここまでに書いた以上のものではない。死に直面して愛に目覚めるという陳腐な展開もない。実にリアルな物語であると言ってもよい。どのような状態にあっても自分を貫き通すということは、実はこのようなことなのかもしれない。「体が動かなくとも記憶と想像力は自由だ」というセリフがあった。しかしその想像力の紋切り型がまた、実にリアルである。
皮肉で言っているのではない。体を動かすことがほぼ完全に不可能になり、誰かと声や文字を使って会話を交わすことができなくなって、それでもなお人格を崩壊させずに生きることができるとしたら、高尚な何かに目覚めることではなく、気障でいけすかない俗物のままであり続ける強い意志が必要なのだ。そのために不可欠だったのが、過去を語り続けるという作業だったのではないだろうか。