補遺

二日目に泊まった宿の貸切風呂は室内に二つ、並んでいた。その二つは壁の上方が切れていてそこで繋がっているという、昔の銭湯と同様の構造にあった。あまり広くもきれいでもないのだけど、せっかくだからすべての風呂に入っておこうという貧乏人根性でそこも利用した。すると隣がとてもにぎやかに。年配の女性が3〜4人くらいで入っている。聞き耳を立てずともすべての声が入ってくる。どうやら姉妹らしい。おまけに、必ず同時に複数の人が喋るらしく、人数も、誰が喋っているのかも、正確なところはさっぱりわからなかった。にもかかわらず、驚異的なことに、結局のところ会話が成り立っているのである。水道の蛇口をどう利用するかで、約五分ほど侃々諤々の議論になったりしていた。きわめつけは、「最近垂れてきちゃって」「あら私もよ」「そういえば○○さんも最近はずいぶん下がってきちゃって」「あら、あんなに大きかったから」「私のもほら」といった会話。誇張はない。ものすごく熱心に、情熱的に、みんなで一斉に大声で話していた。私の母にも姉がいるが、そういった会話をしているところに居合わせたことはない。風呂の効果以上に、それらの言葉は私の心を新鮮な空気で満たした。
あちらの声が丸聞こえだから、大笑いをするわけにもいかず、息を止めての入浴であった。
翌日の昼食時、蕎麦をすすっていると大声で談笑している五人組のおばさまたちが。ウォッシュレットの水はいったいどこから採取されているのかということについて、きわめて熱心に議論をしていた。やはり同時に喋っている。そして話は進行している。結論は出たのかどうか。あのような無秩序な会話であるにもかかわらず、落ち着くところに落ち着く。しかしそれ以前に、いったいどのようにして、蕎麦屋という場所であのような話題が出現したのか。まさに宇宙の神秘である。