年の瀬

はじめて第九を聞きに行く。合唱はもちろんだけれど、第二楽章が好き。神経症的な緊張と不安を感じさせるような音楽に惹かれるという自分の傾向を自覚した。国立音大の学生たちの合唱だったがなかなかよかった。家族と思われる客もいて、いいな、と思った。
渋谷は人が多い。多すぎる。
このようにして年末を迎えた。第九で年末を実感するという習慣はないが。しかしとにかく疲労している。本当に疲れた。生きていくのはしんどい。魂があの世にいってしまったような老人たちは、よくぞあそこまで生きたものだ。誰だって磨り減る。しかしまあ、言葉に絶するというのはこのようなことなのだろうか。喋りすぎの人間にとってはこのほうがいいのかもしれない。「考えるな」という言葉はまちがっている。考えることができないほどに考えるべきだ。あっさりと「言葉にできない」などと抜かして言葉にする努力と集中力と他者への希求を放棄すべきではない。そんな奴は死ぬまで自己満足の世界に生きていればいい。言葉を文字通りに「尽くす」まで言葉を求めろ。そして「言葉にできない」という言葉が失われるほどにまで言葉にしろ。
そう、酔っている。