うだうだ

今日はフーコーのNaissance de la biopolitiqueを読み進める。一日に最低でも10ページと決めていたのだけど、いろいろな用事やら怠け心やらで、もちろんそんな目標が達成されているはずがない。約一週間ぶりに読み始めると、それまでの内容をすっかり忘れていて、思い出すのにしばらく時間がかかった。毎日同じことをやり続けるというのは本当に難しい。おまけに現在の自分の関心が、そこからはいささか離れてしまっている。
早く先に進みたい。しかしこれまでやってきたことにきちんとケリをつける必要もある。そもそも、本当にやりきったのかどうかも怪しいものだ。もっと掘り下げればこれまで見えていなかったものが見えてくるのかもしれない。しかし、何かが見えてくるときにはそこに「におい」を感じる。いまはそれがない。だから早く次へ、という意識が出てしまう。強い苛立ちを感じる。
読みたい本や読まなければならない本が、読みきれないほどある。本当に書かなければならないことがあるのかどうかはわからない。しかし、職を得るための「業績」を積むには、誰も「十分には」言っていないという理由だけで、その意義を考えることなく書くしかない。十分な時間が最も確保されていると思わる大学院生は、かくも考える余裕がない。
仕方がない。誰かに文句を言うようなことでもないし、もやもやをどうにかすることができるという問題でもない。しかし、単純に、喜びを感じることのできるような作業を、毎日続けることができればどれほどいいかと考えてしまう。愚痴のような文章だ。そうかもしれない。しかし、とりあえず感じたことを書いてみると、その気がなくても愚痴のように見えてしまう。何か答えのようなものをもたずに口にする言葉は、つまらないおしゃべりや愚痴として受け取られてしまう。自分が発した言葉を自分で受け取るときですら。
急ぎながらの忍耐。どん詰まりの中でもがき続ける日常。これから10年はそんなかんじ。