はじめての育毛剤

諸君は私を讃えるだろうか。それとも蔑むだろうか。しかしこのようなことは問題ではない。私には諸君に伝えなければならないことがある。私の生における偉大なる実験、それを後世に伝え残すことが重要なのである。


そう、私はとうとう育毛剤に手を出したのである。いつか自分の毛は抜け落ちてしまうのではないだろうか、私はそのように悩む実に早熟な小学生であった。実に繊細で傷つきやすい私の精神をもってしては、風が吹くのにも怯え、水泳の授業後にネットでできた帽子を脱ぐのは恐怖であった。修学旅行での風呂などは、誰に馬鹿にされることなく一人屈辱を覚えていたものである。子供の髪の毛は柔らかくそしてか弱い。私の場合、それは人一倍のことであった。どのように心躍る瞬間であれ、私の脳裏からは常にその不安が消えることはなかった。


そう、それから実に15年以上の歳月が経過したのである。その間、私は耐え続けた。もうよいだろう。周囲の人々に背を押されたこともあり、私はドラッグストアで赤い缶の育毛剤をレジストアへと手にしたのである。恐怖と屈辱と期待。そのときの私の内面を簡潔に表現するとしたら、これらの単語が適切であろう。幸い私の毛髪はいまだ元気よく、明るい店内においても頭皮が透けるようなことはない。たとえ恐怖と屈辱があったとしても、始めるのは今という瞬間しかない。そのようにして私は決意をしたのである。


そのようにして数日間、私は銭と引き換えに入手した育毛剤を使用したのである。顔に吹きかける、目に入るなどの手違いはあったものの、とにかく頭皮へとその薬品を浸潤させることには成功した。強すぎるほどの清涼感により、頭皮は痛いほどであった。そして驚くべきことに、翌日から私の頭髪のボリューム感は増したのである。これは何かの間違いなのではないか。そう思って私は赤い色をした缶に印刷された説明書きを再読したのである。そこには次のように書かれていた。


「細胞内のタンパクを活性化し薄毛の始まり※も防ぐ
  ※髪が薄くなり始めたと感じたとき」


この「※」の部分が問題であろう。いかに広告業者と結託した現代の企業が、言葉巧みに自らの製造・開発した商品を人々に売り込もうとしたとしても、この私の目を欺くことは不可能である。だが、もう少し早く、購入する前に気づいている必要があったはずだという非難に耳を貸すような私ではない。


いずれにせよここにおいては特に、「感じたとき」という言葉が大いに問題なのである。これは次のことを意味するであろう。すなわち、薄毛の始まりが「気づくこと」の問題であるのだとしたら、薄毛の問題を解決するとは、「本当は髪の本数が激減しているにもかかわらず、まったくもってお気楽なことに、そいつに気づくことすらない」という状態を作り上げることなのである。そう、この薬は、髪が多くなったような気分にさせることを目的としたものに違いないのである。


我々には果たして、自らを騙すことで明るい人生を送るなどということが許されるのだろうか。欺瞞によって手にした幸福は、必ずや真実の光のもとに破壊される。見よ、未練がましく頭頂部を覆う醜い人々を。彼らはクソガキどもの「は〜げ」の言葉にすら怯える、そして真実を指摘されることに怒りを感じ、他者が自分のハゲ隠しという策略に騙されないことに怒りを感じる、実に小さな精神の持ち主ではないか。私はそのようにして自らを騙すための準備を、気づかぬままに始めてはいないだろうか。失われてしまう運命にあるものを追い続けるなど、すべての真実を顕わにせんと欲する私のするところではない。


こんなものは捨ててくれるわ! そう私は叫んだのである。