失われた日の光に輝く金色の耳毛

幼いころの私の耳は、一面のうぶ毛に覆われていた。黒々とした毛が耳の穴の内部から生えていたのではなく、細かい毛が外耳にびっしりと繁殖していたのである。伯母や従兄姉たちにおもしろがられ、かわいいかわいいと言われ、よく引っ張られていた。何となく誇らしいような気もしていたことを覚えている。その耳毛は、日の光を浴びたとき、美しく輝いた。耳の周りから後光がさしているかのうようだったと聞かされている。当時の私は、現在よりも頭髪がさらに細く茶色く、さらさらの直毛だった。日の光にあてるとなかなかよい色をしていたらしい。おまけに私は、強い日の光が肉眼にさすと、くしゃみをするという妙な体質を併せ持っていた。後光をたずさえながらくしゃみをする少年。それが私だったのである。

いま、その毛は失われてしまった。それがどの瞬間だったのかということを、私は正確に思い出すことができる。それは小学五年生のとき、人生ではじめて行った床屋で起こった出来事だった。もちろん、そんな出来事が私の身に生じると予想することはできなかった。私たちは生きていれば、けっして引き返すことのできない分水嶺のようなものにぶつかるのである。


床屋と美容院のいちばん大きなちがいは、刃物を扱うことができるか否かにあるということは、きっと多くの人が知っていることだろう。法律にも定められているらしい。いまやこの二つを別の職業として規定することにどのような意味があるのか私にはわからないが、とにかくいまのところその規則が変更されるような気配はない。おわかりだろうか。床屋に行くと、散髪が終わった後に必ず顔剃りという作業があるのだ。私の耳毛が失われたのはそのときである。一般的には珍しいであろう耳毛について私に何も尋ねることなく、床屋のオヤジは、つるりとした耳を私に与えたのである。もしかしたら、思春期への入り口がその瞬間に開かれ、少年時代が永遠に失われたのかもしれない。


もちろん事の重大さにそのときの私は気づかなかったし、失われた耳毛に未練はない。それは起こってしまったことなのだ。


昨日私は、雨の音を聞きながらそんなことを思い出していた。しかし私の回想はここで止まらなかったのである。どのような具合で断片化した記憶が突然に結びつくのか、それが私たちに理解できることはおそらくないだろう。しかし、それがしばしば生じるということもまた確かなのである。それが、昨日のことだ。


上で書いたほんの一言に、その秘密は隠されている。耳毛を失ったのは小学五年生のときであり、それははじめての床屋体験だったのである。比較的遅い、とは思われないだろうか。実際に、周囲は、私などより遥かに早く床屋の洗礼を受けた少年たちばかりだった。しかしその遅れに焦っていたわけではない。その種の競争心をもつことはすでになかった。


床屋に行ったことがない。ということは、いったい誰が私の髪の毛を切っていたのか。そう、母親である。一種の愛情表現だったのか、それともマイホーム獲得のための節約だったのか。どちらにしろそれを理解することはできる。問題は切り方である。当時に私の髪質についてはすでに書いた。そのような髪の毛に素人がハサミを入れるとどうなるか想像できるだろうか。そう、一直線に揃うのである。おまけにどのような趣味によるものか、眉毛の上2センチくらいの場所で、きれいに切り揃えられていたのである。堪え難いことであった。10歳にもなればクラスに好きな女の子もいるにもかかわらず、自分で見ても笑うしかないような姿に、定期的に変えられてしまうのである。


私は主張した。ぴっちり揃えられるのは嫌だ。だから床屋に行きたい。しかし少年の主張がそう簡単に通るような家庭に私は育っていない。床屋へと送り出されるかわりに、母親はスキバサミを持ち出したのである。何かが変わる。愚かな少年テヅカはそう考えてしまったのである。


スキバサミを使用する快感というのは、プロの美容師をも虜にするらしい。現在私の髪の毛を切ってくれる美容師(女性29歳)も、スキバサミを使うことだけはやめられない。プロでもそうなのだ。したがって、素人のおばはんが使えば、どのあたりでやめたらよいのかわからなくなる。


結果を言おう。ものすごく薄くなったのである。

当時に私は、自転車に乗ったまま横を向くと、横の毛がほとんどないことがばれてしまうのではないかと内心怯えているような少年だった。禿げる恐怖はもちあわせていなかったが、人より少ない毛の量を気にしてはいた。現在よりも遥かにたよりなかった私の毛に、過度のスキバサミの使用をすることで、私の地肌は直接に空気にさらされることになった。要するに、ほとんどハゲに近い状態である。翌日、教室に入ったとき、隣りの席に座っていた当時の私のアイドルは「あははは! うっす〜い!」と満面の笑顔で言ったのである。


いまでも私は髪を切りに行くことに対して、少し大袈裟なほどの恐怖心をもっている。そして切り終わったときの自分を見ると、周囲の人がどれだけよくなったと言ってくれても、それを信用することができなかった。証明写真などを撮ると、明らかに散髪直後のほうがいい男だということが、自分でもわかる。それども鏡の中の自分を直視することができなかった。そして髪を切りに行くのが嫌で、八月には美容師に「よいお年を」と言われる始末である。長く伸ばせば切ったときの変化もまた大きい。その変化に慣れるころには、また私の髪の毛は伸びてしまっていた。しかしその恐怖心がが何に由来するものなのかということを、私は少しも理解していなかったのである。ようやく私は理解することができたようだ。


何かを理解することは、それを変えることになるのだろうか。