犬がやってきた

実家で家族たちが犬を飼い始めた。柴である。鼻先が黒くてどちらかというと熊のような顔をしていたのが、ひと月近く経って、だいぶ犬らしい顔をするようになった。体重も二キロほど重くなったとのことである。しかしまだ犬になりきっていないらしく、たまに狐のような様子をしている。両耳がたおれていたのが、右耳があがり、寝ているときだけはたおれていた左耳も、いつの間にかしっかりと立つようになった。実家から三駅という距離に住んでいたときにはほとんど帰らなかったというのに、いまでは週に一度か二度は帰るようになった。図書館でパートをしている母の顔を見ることもなく、同居人の晩御飯を作るために、夕方には家に戻ってくる。犬のせいで私の親不孝ぶりが際立つようになった。まるで息子を嫁にやったようだと嘆く。犬もあまり母にはなついていないらしい。まことに罪深い犬である。
私が帰ると長時間遊ぶことができるということを覚えたらしく、帰ると玄関のケージの中から大歓迎される。哀れなことに、予防接種が済むまでは外を歩いてはならないらしく、普段は玄関の囲いの中で過ごしている。私がドアを開けると「あー!」という何ともいえない顔をして、しっぽを振りまわして歓迎の意を表現する。ケージをよじ登り、外に転げ落ちそうになって、前に進むことも後に退くこともできず、結局は後ろに転落して、それでもケージをよじ登る。便所に行って手を洗ってから相手をしようと思うと、哀れげな声で鳴き続ける。君のようにベランダで用を足すわけにはいかんのだよ。手もていねいに洗ってから、いざベランダへ。
このベランダは、犬がやってくるにあたって、大変に几帳面な性格をしている父が、たいへん几帳面に清掃し、犬の遊び場となった。犬はそこで延々と走り続ける。ぼろぼろになったためサンダルは廃止され、父が畑で使っていた長靴を着用する。私の履いた長靴を追いかけては立ち止まった長靴にぶつかり、方向転換した長靴を追いかけ、再びぶつかり…ということを15分ほど続ける。その次に縄を出して追いかけさせ、捕まえる。私はそいつを奪い取ってはもう一度投げる。あとはもう気の向くまま。私の手やら壁やら床やら新聞紙やら広告紙やらに、とりあえず噛みつくことにしているらしい。手を噛むときはずいぶん手加減をしているらしいが、とりあえず御仕置きをする。口をつかんで開かないようにしてしばらくそのままにする。しかし、たいへんい阿呆なことに、そうされている間にもしっぽを振りまわす。そして嬉しそうに私の手に噛みつく。いや、おじさんは遊んでいるわけではないのだよ。どうやったら「怒っている」ということをわかってくれるのだろう。まあ、たまに悲しそうに鳴くこともあるのだが。
おもしろいことに、私の顔と手と足を、「私の」顔と手と足とは認識していないらしい。手を見ると遊び道具と勘違いして噛みつく。足は足で別の生き物と勘違いしているらしい。とにかく「生き物っぽい」かんじがすれば何でもいいらしい。この前は遊び道具そっちのけでハエを食べていた。まあ、犬ですわな。
酔っ払ったので続きはそのうちに。写真ものせよう。